RKSRKS47ノート藍川5「番場山古墳群」

画像1 RKS47ノート藍川5「番場山古墳群」  令和5年12月24日  ヤブ 私のほうからもうひとつ当然の話としましてやっぱり古墳のお話しですね。  地図の反対のところに西光寺がありまして、そのすぐ上のところに、あまり気が付かないでしょうが、道路沿いにお医者さん(青木医院)があって、その裏山に行きますと古墳があるんですよ。こういう石室です。ほとんど壊されてますが、横穴式石室の奥壁のほんの一部ですけれども残されています。
画像2 ※左側の側壁も一部が残っています。石材はチャートです。
画像3 ヤブ この辺の山は番場山といいまして、番場山古墳群といってたくさんの古墳があったんですよ。もう少し山の中へ入ればまだ残ってるはずですけれども※右側の側壁はほんの僅かです。
画像4 ヤブ 青木医院さんの駐車場のすぐ裏に誰かの石碑が建ってるんですよ。その石碑の下にこの石室がある。石碑は気がつく人も多いと思いますが、その土台になってる石室には気が付かない。横穴式石室には気が付かないかもしれません。 ズボ ブーさんが、あの辺りに古墳があるのは知りませんでした。僕も知りませんでした。岐阜はどこにでも古墳がある感じですね
画像5 ※碑文は「智徳百億神聖精霊」と刻まれています。
画像6 ※「東郷書」とありますが、この碑は大正の終わりごろ、西光寺に宿泊しておられた東京の荻野大江(おぎの・たいこう)という人が、東郷元帥の書をそのまま石に刻み、記念として自費で建てたものといわれています。(「ふるさと藍川 10周年記念」昭和57年)

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