美林にしませんか

 私の家には浄水器が無い。煮炊きするのは、もっぱら水道の水。美味しいコーヒーやお茶のためには、近くの道の駅で湧き水をいただく。とは言っても、カンボジアや中国で6年暮らす以前には、高性能の浄水器が必要だと思っていた。日本の水道水は、体に害が無いのは勿論、味も悪くない。何より信頼できる優れた水道設備とコンプライアンスの裏付けがある。そして、もう一つ当たり前のように信頼しているのが、日本を取り巻く空気の清々しさだ。      

 ではこの水や空気の清々しさは、どのように形造られているのだろうか。日本が細長い島であることや、受け継がれた勤勉で静謐な国民性であることかもしれない。しかし、忘れてはいけない大切なことがある。

 それは、日本の国土の3分の2が森林であるということ。深い谷で削られた山から、水は淀むことなく平地を抜け海に注がれる。そればかりか深い森の奥では、雨水が地面に貯えられ、長い年月をかけてミネラル豊富な伏流水となって里を潤してくれる。森林が地球全体にもたらす恩恵については、多くの人が知るところである。

 日本の森林の内41%が人工林だという。人の手によって植えられた杉や檜の森は、里山と隣接し、昔から里人は、薪を拾い落ち葉を集め、山菜や木の実を収穫した。杉や檜は、木材として生計を支えてくれた。

 宮澤賢治の「虔十公園林」というお話の中に、この森と人との水晶の輝きのような繋がりが書かれている。虔十が、子どもたちから気味悪がられても、いつも笑って杜の中や畑の間を歩いて見ていたものは、雨の中の青い藪や、風がどうと吹いてブナの葉がチラチラ光るさまだった。

 愚直な虔十が苗を植え、枝打ちした美しい杉林に、子どもたちが集まり、幸せな思い出をつくる。虔十が亡くなった後も、森は残り人々の大切な心の拠りどころとなる。お話はこう結ばれる。

 「林は、虔十の居た時の通り、雨が降ってすき通る冷たい雫を、短い草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては、新しい綺麗な空気をさわやかにはき出すのでした。」

 人工林の下草が刈られ、15年から20年の周期で伐採と、広葉樹を含む植林が繰り返されたなら、きっと虔十公園林のような美林が日本中にできることでしょう。まずは人工林を少しでも美林にすること。そこからのスタート。みんなで本当のさいわいが何だかを教える美林をつくりませんか。

#未来のためにできること


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