新石器時代とは何か

旧石器と新石器の最大の違いは何か

シュメールのトークンと縄文の土板


シュメール文明の文字記録土板

        図 シュメールのトークンと文字記録
新石器の最大の違いはシュメール文明での土板に見るように
簡単に文字が記録でき、その記録文書が永久に残せるようになったことである
紙への記録以前に、簡単に記録して、記録した文書を永久に遺す手段を得たことにある。

それでは縄文時代はどうなのか、文字のまだない縄文時代の土器はどうなのか。

土器の始まり


火焔土器

図 縄文土器
図 火焔土器
土器にある縄目の模様や火焔のような造形の土器は、美術品として作られて
芸術を好む人々だったのか。
10000年以上前から、生活も安定していたとは思えない最初から、芸術愛好家の人々だったのか。
これらの粘土から土器の機能を最大に発揮したのは、17000年前から始まった縄文土器である。

これまでの味方は縄文土器は、縄目のような模様を主とした多彩な模様と
火焔土器に見るような多様な造形で、その美的感覚と造形のすばらしさとで、その他の古代文明の中では卓越していたと認識されてきた。

しかし縄文土器はデザインとしての模様や造形に真実が有るのでは無く
情報メディアとしての働きが中心にあること考えるべきであると思うようになった。
すなわち土器に何が書かれているのか、謎解きすることが最も重要であると信ずることになった。
これまではその手がかりは、糸口はどうにもならなかった。

中期に3突起土器

図 突起土器の推移
それは縄文中期になって3突起土器が現れるのは何故かということから見えてきたものである。
それまで2、4,6、8、12という突起が付いた土器を前期までに作っているのに、その中に 3突起土器は無くて、縄文中期になって3突起の土器が作られることになっていたから。何で3突起の土器を作らなかったのか。

それは金生遺跡の太陽こよみの観測装置が分ってきたからである。
金生遺跡の配石で守られていたこよみ作りの観測点として、春と秋の始まりを示す山のピークからの日の出と、その日の出を観測する石棒が存在することが分ったからである。
前の年の春の始まりの日から、今年の春の始まりまでの一年間の日数を数えれば、こよみは造ることは出来るのに、何故か秋の始まりの日まで観測確定する必要があるのか。
365日という数を扱えなかったので182日に分けて数えていたのか。
182日でも多すぎて、91日に分けていたのか。それでも原始人が扱うには大きすぎて45日にしていたのだろうか。

ところで月のこよみは30日で新月から満月になり新月になることは簡単に分っていた。
それから15日で新月から満月になり、15日で満月から新月になる事も分っていた。
この程度の数は原始人でも扱うのに問題なかった。
太陽のこよみの45日と月のこよみの30日または15日では上手くシンクロさせることが出来ない。
数を等分することは簡単で、ここまでのこよみは簡単に造ることが出来た。

3突起土器は太陽と月のこよみを合わせるためのキイテクノロジーである。
その理由は太陽のこよみと月のこよみの区切りを一致させることにあった。
3は45日の太陽のこよみを15日区切りのこよみに変えて、月のこよみ 15日区切り、上弦と下弦のこよみとシンクロさせるための数であった。
何故二十四節気の暦が作られたのか、それはこのために必要なこよみであったからである。

隆起線文土器の場合には、隆帯文から隆起線文、次に細隆起線文、次に微隆起線文と次第に細くなると言う経過を示している。これは弓の弦を細く強くすると云う開発経過を示しているものではないかと考える。
そしてこの時期から土器の作られる量が目立って増加していること、また列島全体で出ているので、細く強い弦開発の進展は土器と共に伝えられることで、列島全域で弓による猟の知識の共有が図られたのだろうと思う。

突起土器は好みでデザインしたものでは無く、こよみ開発の進展を祝うと共に列島全域にこよみを伝え共有されることを目的として情報伝達していたものと考える。
生業道具の開発もこよみも、列島全域で共有するために土器という文書が作られ、それを用いて説明することで広められていたのではないでしょうか。

土偶の変遷

図 土偶
土器が作れるようになり、土器は文書と同様にメディアとして利用していたのではないか、
とすると土偶もその例になると思う。
土偶にはその時、その形が何を示しているのかと、何のためのものかという、何らかの説明がされていたものではないでしょうか。
旧石器時代と違い、土器はどのような形でも思う形が造れるので
土偶文書はそれまでとは比べものにならない情報量で、思考と言語が共有できるようになり、言語は飛躍的に発達したものと思います。「万物の黎明」に先行する文明の黎明である。
日本語はこの時から発展して、世界の言語の先駆けとなったのではないでしょうか。
日本語は古すぎて、未だに系統が解明できていないのはここに原因があるのではないでしょうか。

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