バスケチームを初めて推してみて

はじめに

こういった自分の忘備録のようなものを書くのは不得手ではありますが、どうかお手柔らかに流し目で見ていただけますと幸いです。
色んな影響からnoteのアカウントを作ったので自分も忘備録的なものを書こうかなと思い始めました。多分5年後に読んだら悶絶するようなある意味「黒歴史」にならないように気を付けたいとは思います。

まず最初にタイトルにある通り私はBリーグのプロバスケットボールチームを推しております。チーム名はあとで大量に出てくるのでここではいったん割愛致します。
このnoteではなぜ私がこれほどまでにバスケを好きになったかというある意味思い出語りというノスタルジーに浸るものでございます。言い回しがくどいな。これじゃ黒歴史必須だわ。

バスケとの出会い

くどい前置きは置いておいて、私が本当の意味で最初にバスケと出会ったのは小学六年生だとおもいます。
小学生にしては縦にも横にも恵まれた体格をしていた私は小学校のバスケのゴールなんて結構低いものだったように思います。体育の授業で初めてやったバスケに面白い!と感じました。
いわゆる軽度肥満児だった私は体育が苦手な方でした。
短距離はいつもびり、持久走の周回遅れはいつもの事、縄跳びは二重とびすらできない、跳び箱は4段が限界。でも背は高い。そんな小学生が恵まれた体格だからという点で有利に立てたバスケが面白くてしょうがなかったんです。
今思えばコンプレックスからの解放が楽しかっただけなのかと。

まあそんな小学生だった私が中学の部活選択の時にあったのがバスケと吹奏楽でした。吹奏楽は単純に音楽が好きだからという理由。
ただ、部活見学の時に吹奏楽部の雰囲気が自分には合いそうになかった気がしたのでやめました。
そして消去法的に選ばれたバスケが今の私の人生を変える大きなファクターとなったわけです。

中高大でのバスケ

その後は至って普通。小学校の時にぐんぐん伸びていた身長はピタリと止まり、ビックセンターを期待されていた私は結局のところ4.5番みたいな役どころになりました。小さいセンターと呼ばれお前にはボックスアウトと走力しか生き残れないって散々言われ続けてきました。
でもまあ、中一にしては大きかったからという理由でワンハンドシュートを教えてくれた顧問には今でも感謝です。
学校も強豪校ではなかったが普通に練習はきついし永遠に走らされる。スリーメンとシャトルランという言葉を聞くのが一番の苦痛という至って普通の学生バスケでした。
それでも得るものは大きく、縦にも横にもでかかった軽度肥満児は筋肉質の軽度肥満に収まるようになりました。体力もグンと向上し、それも自信につながり精神的な安定にもつながったような気がします。(今思えばだけど)

幸運なことにエスカレーターで大学に進学ができた環境だったので大学には顔見知りも多くいました。よく練習試合をしていて引退後も結構仲良くしていた子も同じ大学で、その子の誘いから大学もバスケをするようになりました。まあ、そのころには体力が落ちていたのでダメダメでしたけどね。
そんなこんなで約10年間バスケ現役(って言っていいのかわかんないけどバスケが日常に含まれた生活)を続け就職をしました。

社会人になって

社会人になったら忙しいとは聞いていたが、ここまでとは(のちにその会社はブラック企業と気づき転職することに)
そしてなんやかんやあって、コロナです。
コロナ前までは別の趣味があり遠征を沢山していました。もっぱら行先は東京ですが。
それがで断絶。
自分の趣味がなくなった瞬間でした。
そのころ仕事でのミスもあり、自分の精神が疲弊しきっていたのを覚えています。何をやっても楽しくない。ただ時間だけが無為に過ぎていくだけ。トラブルのない一日だけを望むという本当に色がなかったです。
そんな生活を変えてくれたのがやっぱりバスケでした。

東京五輪の影響

2020年の東京オリンピックのチケットの申し込みをしたのが多分2019年ごろだったような気がします。日本でオリンピックが見れるなんて最高じゃん!っていう思いの元チケットを申し込んだのが始まりです。もちろんバスケ。
そのころ男子バスケは強いというイメージが全くなく、むしろ女子の方がワンチャンあるんじゃない?みたいなことを思っていたので女子の準決勝と三位決定戦を買いました。(男子のチケットがバカ高かったのは言うまでもありません)
とまあそんなわけですが、結果は皆さんも御承知の通り五輪は無観客で行い、私の持っていたチケットはお金に戻りました。
でも私が持っていたチケットはなんと日本VSフランスのチケットでした。そして女子は史上初の銀メダルを獲得。
そこで私のバスケ熱は一気に高まりを見せました。コロナで観劇は無理。ならバスケは?ともう一度バスケに矢印が向いた瞬間でした。
その時は女子バスケにしか興味がなかったのですが、いかんせん京都近辺はWリーグ全然やらないしチームもない。
一番近くても伊丹……気軽に行くにしては遠いな。
そこで目に留まったのが今の推しチームである京都ハンナリーズでした。

京都ハンナリーズとの出会い

日にちまでは覚えていないですが、2021-2022シーズンの島根戦のどれかです。多分2022年3月ごろ?
本当に軽ーい気持ちでチケットを取りました。
調べたら舞台1回分の半分ぐらい……こりゃお試しで行くには丁度いいとなり私は適当に行ける日のチケットを取り観戦に行きました。

そこで私が体験したものはコロナで刺激が全くなかった私にとってはものすごい非日常感でした。
チームカラーで装飾された体育館(最後に来たのは高校のWC予選)、かわいいマスコットが練り歩き、美しいチアがコートの中で舞い踊る。そして一番の衝撃はバスケの面白さをもう一度体験できたこと。
試合の出場選手なんて全く覚えていないのに唯一覚えているのが56番の小室選手。
特指時代の頃でその頃よくプレータイムをもらっていたそうです。その小室選手が出たタイミングは後半で試合ももう決まっているような点差だったけれどその躍動は今でも心に刻みつけられてる。
ディフェンスに走る、ポゼッションが変わったら一気に走る、果敢なリングへのアタック、怖いもの知らずなランニングリバウンド。なんというか、こんな風にプレイ出来たらバスケ絶対楽しいだろうなって思うようなプレーだったように思う。(もしかしたら思い出補正かもしれないけどその頃の自分にとってはそれほどまでに衝撃的だった)
そこで一気にプロバスケの魅力に片足を突っ込んだ気がする。

でも人間というものは勝者にしか興味がわかなくなる生き物で、京都の順位を調べたらもう、すごい順位。応援しようかなと思ったけど負け試合ばっかり見るのはな……とその頃の私は思っていた。今思うとバカだなと思う。
そして次行こうと思った千葉戦がコロナによって中止。
そのシーズンの私のバスケ熱は一旦冷めました。
オタクってこういうところあるよね。盛り上がろうとしているところに冷や水掛けられるとシュンてなっちゃう。多分千葉戦も見に行っていたらまた違う結果になったかもしれないが、その辺はたらればなので割愛。

それと同時に自分の仕事もまた忙しくなり、土日休みなんて無くなっていったので案外丁度良かったのかもしれない。

新生ハンナリーズを推すまで

そんなこんなで2021‐2022シーズンは終了し、ハンナリーズは他のチームよりも多い別れと出会いを経験することになった。
私は全く知らなかったけれど歴代のブースターさんたちにとってはやはり辛い別れが沢山あったみたいだ。
オーナーも変わり運営も一新され、新たなハンナリーズとなって新シーズンを迎えることになったのだ。
様々な変化があったことを私は片目で流し見ながらふーんって思っていた。
でも目に入った「開幕戦」の文字に少しだけ心惹かれた。
先シーズンは途中からだったから応援できなかったのだから、開幕戦からいったら応援できるのでは?と。
下馬評なんてわからない。新しい京都が実は降格筆頭って言われていたのを知ったのは京都を推してから2か月たった年末ごろだ。
そんな新鮮な気持ちをもって私はこのチームを知っていきたいとそう願った。気づいたらまたチケットを買っていた。
その素早い判断を今なら褒めたたえよう。本当によくやったよ私。

そうしてロイラナHC体制になった京都を知り、選手全員の魅力に触れ、いつも笑顔で美しいはんなりんに心がほっこりし、あざとかわいいかっこいい青い猫ことはんニャリンに徐々に入沼し、細やかな気遣い心遣いの出来る運営や広報に感動し、今や立派な京都ハンナリーズブースターの出来上がりとなりました。

まとめ

長々と語っていきましたが、こうして言葉で整理すると自分の中での思い出がまた鮮度の良い記憶として蘇りましたね。
まだ新米ブースターでコロナ前の応援の方法なんて全然わからないペーペーですが、いつも温かいブースターさんたちのツイートを拝見して自分はこんな感じでいいんだって少し安心しました。
バスケも学生時代のバスケ知識しかないので間違った考察やプレーについての所感もあるとは思いますが、ずぶの素人の言ってることだって流し目で見てください。
でもE級ライセンスは取りたいって思っているので3月中には取る。(気持ちはある)

それでは初めての記事のくせに4000字近く書いてますがこの辺で。
忘れない頃に千葉戦までの感想をまとめていきたいなって思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?