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一口いい橋〈八幡橋(やわたばし)〉

 前回までの記事を読んでくださった方はありがとうございます。そうでない方は初めまして。表題の通り,小さいけれどいい感じだった橋とか道とか線路とかその他もろもろのそれらも紹介できたらいいなという感じの記事になります。写真多め文字少な目ですがご了承を。
 今回はこちら↓で発見したいい感じの橋をご紹介します。


コロナワクチン接種の帰りにぶらぶらしてたらいい感じのちっちゃい橋を発見。
左右の柵は鉄製だが親柱はしっかりとしている。もとからこんな風貌だったのか?
親柱によると名を「八幡橋」というらしい。
構造は1径間PC(プレキャスト)桁で橋の長さは約7m,有効幅員は3m¹⁾。
プレキャスト桁とは工場などで製作し現場まで運搬して組み立てるような桁らしい²⁾。
こういう土木建築についての知識も身につけていきたいところ。
竣工年は昭和31(1956)年12月。およそ60年以上前からずっと現役の代物のようだ。
一私道の橋梁だしまたぐ川も用水路程度のものなので,規格こそこじんまりとしたものではある。
しかし大げさにも思えるような親柱とそこに達筆に彫り込まれた文字にはそれを感じさせない貫禄がある。そのような意匠を持つ橋が付近に見当たらないことも手伝っているかもしれない。
反対側の一方にはひらがなで読み仮名も。「やわたばし」と読むようだ。
そういえばひっそり「恋する小惑星」というアニメの聖地にもなっているらしい。
私は見たことないですが。
最後の一本だけは取り壊されてしまっているようだ。なんでや。
標識を立てるときに邪魔になったのだろうか。
当時からこの近辺で暮らしていた地元の不動産屋さんによれば,この辺りはちょくちょく建物の入れ替わりなどがある以外は30年ほど前からあまり変わらない景色が残っているそうで³⁾。
確かにそこに住む人々の生活の一部として昔から変わらず生きている。
この橋がまたいでいるのは「新河岸川」。まるで用水路みたいな風貌だが,この川の下流部分,特に仙波河岸公園より下流の部分は,小江戸川越が「小江戸」たるのに重要な役割を果たした舟運が行われていた川なのである。
もっとも,今いる場所を含め市街地より上流部は大正から昭和の間に新河岸川につなげられた元「赤間川」で,舟運と直接関係があるわけじゃぁないんだけどね。
ここから先新河岸川は川越市街地の外周をぐるっと回った後,遥か30㎞以上を南下していき次々に支流を取り込みながら隅田川に合流する。
現在ちょうどこの八幡橋あたりを境としてより上流を赤間川,下流を新河岸川としているようだ。

 昼間とは言え非常に寒く摂取後でもあったため,腕が痛くなる前に早々に退散。この一か月は引きこもりがちだったので,久々にゆっくり外を歩けたのはいい気分転換になりました。
 新河岸川舟運の件についてはブラタモリなんかでも取り上げられていたようなのでぜひそちらも参考に。そのうち新河岸川を限界まで遡上してみるのも面白そうですね。周囲は普通の生活道路で道もそれほど広くはないので探訪する際は川越市駅からの徒歩や自転車での訪問をお勧めします。自転車の場合は止める場所にもお気を付けを。

〇参考サイト様
1)「Scene-696 新河岸川最終回『石原橋~八幡橋』」ぶらっと遡上探索

最終閲覧日:2023年1月21日
2)「プレキャスト」プレストレスト・コンクリート建築業協会

最終閲覧日:2023年1月21日
3)「八幡橋(やわたばし) 35年前から変わらない川越の田園 泉っ子きづな社長」川越の夫婦の不動産 きづな住宅

最終閲覧日:2023年1月21日

 短時間の閲覧お疲れさまでした。
 それでは,またどこかで。

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