【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 8

今日の夕方から行われる同窓会の前夜祭には、どれくらいのメンバーが集まるのかSNSで確認してみることにした。すると、思ったよりも、応答は少なく、日野春、越門、神部…お、神ちゃんも来るのか。家事育児があるからと弘海くんは欠席らしい。

1クラス40人弱、それが6クラスもあった中学なのに、出席者はこれだけなのか。確かに、実際はなかなか集まることはできないのかもしれない。当然ながら、まだ子育て中の人もいれば、遠くに住んでいる人もいて、場合によっては合わせる顔がないという人もいるだろう。

私だって、通常ならば、その中の一人だったはずである。全員に招待状を出しているわけではない。SNS上で呼びかけ、SNS上で応答してくれた人が参加を表明しただけにすぎないのだから、特定の交友関係だけが集まるのは当然か。

アラフィフ世代でもLINEが基本的なコミュニケーションメディアであり、SNSについては登録だけしたままで、アクティブにしていない人も多いだろう。私自身も、結局のところ、余計な情報ばかりが流れ込んでくることに倦んで、とうとうやめてしまった。私たちの世代はそういうものだと思う。

私はホテルの天井を見上げて、少しだけ落胆した。そんな大規模になるわけがなかったか。SNSのつながりは、網目状に様々な人をつないでいくように見せかけて、実は限定された人間関係だけが固着する性質を持っているのかもしれない。だとすると、今回SNSを通じて集まった人々は、中学時代の記憶に何かわだかまりのようなものを残している共通点があるのかもしれない。

越門はどうだろう。彼はルサンチマンをこじらせているようには思えない。あの頃から、越門は極めて中庸な性格を持っていた。この中庸さは、人に刺激を与えない。嫌な気持ちにもさせないし、尊敬されるわけでもない。穏やかで、ときどき面白いことをして、周りの人を笑わせる。勉強も、運動もできすぎるわけでもないので、人に過度にうらやましがられたりはしない。だから、単純に中学校のときに思いを寄せていた志村さんに会いたいという気持ちが参加動機だろう。その動機を持ち続けてSNSで実名検索していたとなると、ちょっと気持ちは悪いがな。

行ってみないとわからない…か。

私は神部さんの事件を思い出そうとしていた。神部さんが長期休む理由になった黒岩さんたちの「諍い」のことを。それが「いじめ」だったのかどうか、実は私には判断がつかない。榊原さんは「喧嘩」と言っていた。「喧嘩」ならば対等の関係だ。しかし、不登校になるくらいのものだったのか。

逆に「いじめ」であったのだとしたら、どのような「いじめ」だったのか。無視か、陰口か、暴力か。ただ、神部さんと黒岩さんは、出身の小学校が同じで一年生のときも同じクラスで、仲は良かったはずである。それなのになぜだろう。

森という同級生がいた。森とは、小学校5年生、6年生と同じクラスになって将棋などを指す間柄だった。森は、中学校に入ると、急速に色気づき始めた。森と話すと、いつも決まって「お前は誰が好きか」という話題になった。「好き」という感情がわからなかった私は、「好きとはどういう心の状態を指すのか」という趣旨のことを森に訊ねた。そうしたら森は「いつも一緒にいたい」とか「話していると楽しい」とか「見た目がかわいいと感じる」とか「つきあいたいと思う」とか、明確な返答をよこした。

森は、それらに当てはまる同級生を探し始めた。実際に「探して」いたのだ。森の定義からすると、それは「自然に」心に浮かんでくる想念のように思えたが、森は「自然に」それらの想念が沸きあがるのを待つのではなく、「探し」ていたのである。対象を見つけた上で想念を「立ち上げる」のだった。

森はどこからか私たちの中学校へ進級した他の小学校の卒業アルバムを入手していた。その行動力には舌をまいたが、森は、そのアルバムを元に「探し」始めたのである。私はといえば、彼が入手したそのアルバムを別の観点から読み始めた。それは、誰と誰がどういう関係にあるか、ということを把握することにつとめたのだ。誰がどういう性格で、何を求めているのか、それらを一覧にしたいという欲望を抑えることはできなかった。森も異常だったが、私も異常なのかもしれない。

森は、「好き」になる対象をみつけると、家を見に行った。私も付き合わされた。そして、その家が自身の幻想の期待から外れると、急速に「好き」であるという感情を失っていった。

「森、お前はこの彼女を好きになったのではなかったのか?」

「だって、イメージ違うんだもん」

「イメージとは、どういうことだ?」

私も中学生だったので、森がやっている行為の本当の動機がわかっていなかった。今も、完全に理解したとは言えないだろう。理解しようとしても、もう森はこの世にいない。生きていたとして本人に話を聞いても、その行為の真の動機はわからなかったかもしれない。

森は、好きになった女性に、様々なアプローチをかけた。私はそれを横目で見ていた。会話のとば口は「昨日のTVみた?」や芸能人のゴシップについての感想を聞く形で、相手の会話を引き出していた。その会話の開始のさせ方はかなり自然だったが、不自然なのはそうした会話を向ける相手が常に決まっていることだった。そうしてクラス全員が森の「好き」な異性は○○ということを理解するのだった。

森はただ、「付き合う相手」すなわち「彼女」という存在を求めていたのだと思う。「彼女がいる俺」が、森にとって理想の「俺」だった。「彼女」になるにはお互いに好意を寄せあわなければならないと森は前提したから、「好き」である状態を森は作り出そうとしていたにすぎない。「好き」という心的な状態がないまま「彼女」になってくれる人がいたら、森はわざわざ「好き」になろうとは思わなかっただろう。森が一番好きだったのはおそらく「理想的な俺」の姿だろうから。

森の会話に一緒に付き合うことで、誰が誰をどう思っているか、ということを理解できた。私はそれを緻密にノートに記した。人間関係とそのエピソードをノートにまとめることが、私の欲望だったからである。そのノートの断片は、今でも頭の中に入っている。しかし、それでも神部さんと黒岩さんとの「諍い」の真相はわからなかった。

森が神部さんのことを好いなと言い出したのは、2年生も始まってからであった。1年生のときには、同じクラスの女性に告白してフラれた後、今度は同じクラスの別の女性にアタックしてフラれた。森は⦅同じクラスの女性にアタックすると、次に同じクラスの女子は選ぶことができない⦆という簡単な真理を1年かけて理解したようだ。そして、アタックするなら他のクラスがいい、ということを2年次から実践することになった。

しかし、森は神部さんにアタックする実践のなかで、一緒にいる黒岩さんへと対象をスライドさせた。その心理はよくわからなかったが、私は森に連れられて、黒岩さんの家を見に行くことになったのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?