太宰、周辺の本

太宰が最初に出した本である『晩年』を読み、「さて、次の本は。。。?」と物色している中、最近発売されたのか、習作ばかりを集めた『地図 初期短編集』を購入すると同時に、『二十世紀旗手』も届いた。はてさて、何を読もうか、感想を書こうか考えていたら、いわゆる彷徨三部作の最後である「虚構の春」が長くて、ちょっと読む気をなくしていた。パラノイアは、これだからいやだ。順番に読もうと決めたなら順番に読まないと気がすまなくなる。そのため、『晩年』の前に戻ることもできず、かといって、「虚構の春」を飛ばすという選択肢もなく、なんだか本を読む気になれないまま、はや4月も半分が過ぎなんとしている。

ただ、その間、簡単に買えるような評伝を集めたりしていた。太宰の晩年交友のあった堤重久氏の『恋と革命 評伝・太宰治』(講談社現代新書)、細谷博氏の『太宰治』(岩波新書)、安藤宏氏の『太宰治 弱さを演じるということ』(ちくま新書)、井伏鱒二『太宰治』(中公文庫)、そして先日見つけた奥野健男『太宰治論』(新潮文庫)。

本を読むよりも、収集した本をインデックス化しているときが一番幸せな時間である。本末転倒、とはこのことだろう。

本を整理してて発見した、太宰と最後に情死した女性である山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』(女性文庫)も、結構面白い。

愛して、しまいました。先生を愛してしまいました。

5月19日

なんというか、日記なのだけれども、読んでいると本当に辛くなる。結構、長いです。ただ、誤解されやすい山崎富栄だけれども、もっと理解されてもいいような気がする。自分には無理かもしれないけれど、理解できる人はいると思う。いい本だ。

井伏鱒二の『太宰治』で紹介されている、飲んで、酔っ払って、甲府城址の石段からころげおちて、脛を血だらけにして帰ってきたエピソードなども面白い。以前、大雪で、甲府に5日間ホテルに缶詰だったことがある。雪も溶け始めてきた3日目くらいにブックオフまで歩いていって、そこにちくま文庫の太宰治全集があるのをみて、1、2巻だけ買ったことを思い出した。そうか、そういえば、太宰は山梨県と深い関係があったのだな、と、今更ながら思った。岩手といえば南部氏で、これは、山梨県の南部町出身の豪族が北畠顕家なんかといっしょに東北にいって、そこに勢力を張ったというエピソードは知られている。

奥野健男も、いいことを言っている。

太宰の影響は、一時代前、芥川龍之介や小林秀雄がその時代の青年に与えたそれよりも、更に深いものがあると思われます。それは文学志望の青年だけでなく、文学などに関心なさそうに見える意外な人々が、太宰治に強く共感し、心の奥に秘めているのです。太宰文学は多くの青年の精神の形成過程に抜き難い深い影響を与えているのです。それはほとんど決定的なものであるにもかかわらず、しかし皆はその事をむしろ隠そうとします。余りにも身近なのです。太宰のことを言われるのは自分のことのように羞しいのです。それと共に彼の芸術の美しさに反撥するのです。

なんかまとまらないので、このまま、アップしてしまう。

あっは、ぷいぷい。





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