【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 12

12

同窓会当日、私はキャリーケースと一緒に、小室家を訪れた。16:30からの予定だった。電車の高架脇にある塀付きの豪邸が小室家だった。小室の名字の家が多すぎて、どこが小室さんの家か今の今まで知らなかった。

縦長の敷地には、ゴルフコースのようなものも作られていた。綺麗な芝生の上に、立食用のケータリングが用意され、寿司屋の出店のようなものまであった。

実際、どれくらい集まるというのか。私は少し早く来すぎてしまって、小室さんにお願いして、日陰にシートを敷いてキャリーケースの中を整理していた。瀟洒なベンチが数個もあり、ちょっとした公園並みの庭だ。発起人の黒岩さんは、なぜ同窓会を企画したのか。

前夜祭のメンバーが三々五々に集まってきた。すでに、この二日間、とりとめもないおしゃべりに興じていたから、特に話すこともないようで、皆無言である。二日酔いなのか、フラフラしている奴もいる。榊原さんは相変わらずニタニタ笑っている。ちょっとした挨拶を交わし、私はまたキャリーケースの中のものの整理に勤しんだ。

開会が近づくにつれて、人も多くなっていった。大学の先生になった楠瀬もいる。兄貴が未成年に対する淫行で逮捕された街音もいる。地元で、医院を継いだ犬束もいる。無口で何を考えているかわからなくて、3年間話すこともなかった普門もいる。小学校低学年の頃は、あんなに仲が良かった更科も、高学年になって不良化し、いつしか話すこともなくなったが、ここに来ていた。

子どもを連れている人もいる。あれは旧姓猪熊で、ずっと学級委員長だった。末永は、あれほどまでに足の速かった小学時代とはうってかわって、中学に入ると真面目に運動会では走らなくなった。染め物屋を継いだ速水、呉服屋を継いだ青木、私の悪口を散々言っていた茂木もいる。

黒岩さんが来た。私はキャリーケースの蓋を閉めて、黒岩さんの動きをじっと見ていた。まず小室さんに挨拶に行き、しばし談笑している。特に歳月の鉛を感じさせない、笑顔だ。当然ながら、風雪の影響は大いにあり、我々同様、シワが刻まれ、シミで乾いていた。私は彼女から見えないところで彼女を見ていた。

しかしながら、彼女の恵まれた体躯は、50近い今でも輝いていた。幸福であったと言えるのか、外側からだけではわからない。ひとりで彼女は会場にきた。私にはまだ気づいていない。もう開会まで時間がない。正味60人ほどの参加者が、用意されたビールタップから、クラフトビールを注ぎ、乾杯の準備を整えていた。

開会だ。主催者挨拶ということで、黒岩さんが前に出た。私は集団の後ろで、じっと彼女を見た。彼女は挨拶と乾杯の音頭を取った。一瞬気を抜いて遠くを見渡した時に、私と目が合った。大きい目が、見開かれた。驚いているのか、それとも、別のことを考えていたのか。すぐに目を逸らし、人の輪の中へ彼女は入っていった。

弘海くんを探した。一緒にいるはずの神部さんはいなかった。わだかまりは残っているのか。もう、人の輪の中に、私は入らなかった。人数に圧倒され気後れしていたのかもしれない。キャリーケースをいじるフリをしながら、ウーロン茶を飲んでいた。すると日野春がやってきた。

「どうした?ほら結構人が来たじゃない。色々聞いてまわればいいよ。ナカさんの仕事だろ?」

「ありがとう。60人なんて2クラス分に満たないと思っていたけれど、集まるとやっぱり多いな。」

「殿馬はヤク中で亡くなったみたいだ。更科が言ってた。浅田も事故で亡くなった。やっぱり気づけば何人か欠けてるな。いい加減、俺らも50代だからな。」

「お前もポピュラーから政治家に転身したわけからな。何があるかわからんな、人生。」

黒岩さんと話さないといけない、と思って彼女を探すも、姿が見当たらない。黒岩さんは?と日野春に尋ねた。トイレじゃない?と上の空で日野春が答えた。関心がなさそうだった。

私は黒岩さんを探して母屋の方へ向かった。黒岩さんは、小室さんのお母さんとどうやら話しているようだった。何を話しているのだろう。いつ、二人は仲良くなったのか。出てくるのを待とう、と思ってしばし、縁側の近くに隠れて立っていた。

庭の方で叫び声が聞こえた。毅!やめとけやめとけ!という鬼頭の声が聞こえた。毅?あの毅?黒岩さんが、ゆっくりと外に出てきた。高いヒールのせいか、昔よりも背が高くなったように見える。

「黒岩さん、久しぶり。」私は声をかけた。黒岩さんは、微笑んだ。

毅!ひときわ大きい誰かの声が、何かを静止しようとしている。毅!一緒に飲もうぜ!お前だけじゃないぞ、苦労してんのは!鬼頭が必死で呼びかけている。

「あら中山君、久しぶり。元気だった?」

おい!同じなんだよ、今時。お前も、俺らも!

そんなことはねえだろ!家族もいて、幸せだろ!お前らは!

アホか!家族がいても不幸せな奴もいるし、俺らの中にも家族のいない奴だっている!家族を失った奴もいる!家族がいる人生と、家族がいない人生を比べらんねーだろ!完璧な人生なんか無いんだよ!

庭での騒ぎは何だ。毅って、あの小室毅か?

「黒岩さんは、今どうしているの?弟くんは元気ですか?」イケメンで剽軽で、部活で可愛がられていた弟は今どうしているのか。

「輝はもう亡くなった。私は結婚して、二人の子どもがいる」

まだ信仰を持ち続けているの?と聞こうと思ったが、毅!ほんともうやめとけ!という叫び声と、悲鳴と、ドタンバタンと何かが倒れる音で、気持ちが逸れた。子どもたちが走ってきた。

「どうしたの?」と私は聞いた。

「変なおじさんが酔っ払って入ってきて、喧嘩になって、取り押さえようとしてる。」

「とりあえず、玄関の中に入って、小室さんのお母さんに鍵をかけてもらいなさい。それで、黒岩さん、実は昨日、神部さんと会ったんだけど。」

「奈緒子ね。懐かしい。元気にしてる?」

「今は顔を合わせたりすることないのか?」

「そういうのも含めて、ちょっと同窓会やってみたいと思ったのよ。麻奈ちゃんとはよく会うし。」

小室さんとはよく会う?小室さんも信仰者になったのか?それとも、信仰者だったのか?

「だとしたら、神部さんが弘海くんと結婚して蕎麦屋をやってるって聞いてるでしょう?」

「そうだったかしらね。それで、中山くんは元気なの?」

「元気ともいえるし、元気じゃないとも言える。35年もたつと、いざ話そうと思っても、話す内容はどれもくだらないことのように思えるな。」

おい!と怒声が聞え、何かが二つに折れるような音がした。こいつやりやがった!あれは更科の声だ。テル!お前も手伝え!皿が割れるような音が聞こえて、取っ組み合っているような鈍い音が響く。

「話す事がみあたらないから、答え合わせいいか?神部さんが3年の時、不登校になったの覚えてるだろ?その原因はあなたの無視と悪口、理由は神部さんがとある信仰集団の悪口を、きみが信仰者の家族だってこと知らずに言ったから。違う?」

「間違い。わたしは、中山君のことが好きだったから、奈緒子に嫉妬した。それが正解。」

「それって、俺の作った小説だろ?」

「は?何言ってるか全然わからないけど、あのとき中山君はずっと奈緒子の隣だったじゃない。席替えしても、席替えしてもなぜか隣。PTA会長の娘だからって、何か先生に言って細工しているもんだと思ってた。それを問い詰めたけど、奈緒子は知らないって強気に出て来て。それで、無視した。」

混乱してきた。庭の方で、うおおおんというわめき声が聞こえる。バット!しまえ!という声も聞こえる。

うるさいなあ、いいところなのに邪魔すんな!

私は、大声のする方に向き直りやおら駆け出した。キャリーケースを盾に、人だかりが出来ている背後から、突進していった。バットを持って一文字に振り回している男の背後から、キャリーケースをぶつけて、怯んだ隙に横倒しにした。毅じゃないかと私は思った。虚をつかれた毅は、お前誰だ!と叫んでいるが、転んだ拍子に肩を脱臼したのか、いてえ!いてえ!とバットを遠くに頬りだしたまま、私ともみ合って、転がった。うるさいんだよ!こっちは今いい話してるんだから邪魔すんな!ボケ!小室毅!

いてえー、とわめいていた毅が、私の顔を見て、

「お前…誰だ?」と言った。

ああ、そうか、私は卒業アルバムを森に見せてもらって、自分の中学校とは別の中学校に行った連中の顔も名前もエピソードも収集していたんだった。だから、私はコイツを小室毅と知っているけど、毅は私を中山という男だとは知らないんだった。

「はじめまして、中山って言います。ナカさんって呼ばれてます」

一瞬の間のあと、男どもが駆け寄って来て、毅を縛った。毅と同じ小学校だった越門、鬼頭が中心になって動いた。

毅は、普段、何かむしゃくしゃしたことがあると、小室さんちに来ては大騒ぎしていたわけだがえ、今日も偶然、騒ぎに来たら、大勢の人が集まって、もっと騒いでいたので、なんだかわからずにこっそり参加しようとしたら、知らない人に誰何されたので、逆上したということだった。同窓会が台無しだよ。

更科はバットで腕を殴られ、骨折。後は何人か擦り傷。小室さんの親族が保険で更科のケガを治すということになった。示談金もいくらか払われたらしい。

「また、仕切り直さなきゃね。奈緒子もいなかったし。」そう黒岩さんの言う声が聞こえた気がした。

「中山君、またね。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?