P腹さんとの長い会議 〜ある社の人間模様11〜

久しぶりにP腹さんと、割と直接対決に近い形での会議をした。

P腹さんは未熟者のことを食えない奴と思っている節があって、それはそれで好都合である。味方なのか敵なのかわからないように、それなりの餌は撒いていて、従順さと反抗的な態度のバランスに気を使う。

P腹さんは、自分の意見を言って、それを通すよりも、人がP腹さんの意見をあれこれ忖度した挙句、自発的にP腹さんの意向通りに動いてくれるのを好む。言質としての意見を言わずに、責任を回避しつつ、P腹さんの思うように組織を動かしたい人なのだ。

P腹さんと未熟者は、面子と実質の交換で、ギリギリのギブ&テイクになっている。未熟者はP腹さんの面子を潰さないように動き、働く時間のフレキシブルさ(適当さ)や成果についてはある程度、目を瞑ってもらっている。

P腹さんの会議で面倒なことは

「なんでここがこういう表現なのか!?」

に対して、

「それは、こうこうこういう理由があって…」

という説明をしても、

「だとしても、なぜここがこういう表現になるんだ!」

と話がループしてしまうところにある。

これは、

「あなたはここにこう書いていたけど、なぜこういう動きをしたのか!?」

に対して、

「こういう条件が重なって、ダメージを最小にするには、ああいう動きをせざるを得なかったのです」

と言っても、

「でも、君はここでこう書いてるじゃないか!」

という別バージョンもある。

そういう意味でP腹さんは、書いてあることを重視する。ただ、読みが一義的、逐語的なので、あまり理解できていないのではないか、と思わせる節もある。もちろん、逐語的と言っても、法的な文書のそれとは違う。規約の条文の文章を読むのは、報告書などを逐語的に読もうとする割には、誤字脱字の類にうるさいくせに、苦手なのがP腹さんである。

会議は、若手によるとりあえず最初のプレゼンがあって、それに対する質問をP腹さんが行いはじめた。

社内研修で、単なる講和よりも、座談の方がいいだろうという企画だったのだが、「質問内容を知らないと答えようもない!」というP腹さんの激昂のおかげで、その質問項目についてこんなんありますと示し、これは話せるこれは話せないと取捨選択する会というわけである。

経営については、過去の判断を自分が云々できる立場になかったから答えられない!というので、過去の理念についての自分の想いをお願いしますと言って、質問を当日する人から、それぞれの質問の説明をしてもらった。

そもそも固い話を考えるのが難しいと言うし、AIに書いてもらったようなつまらない講話を聞くのも、面白くなかろうという判断から、座談にしたのに、座談のキモであるフレキシビリティも無くなりそうなので、未熟者的には大変遺憾だった。

で、案の定、「経営については先代から聞いてはいるものの、書かれていることじゃないから、私が言っていいことなのかどうか判断できない」と言い出した。

「いいことかどうか」なんて、むしろアンタがここのトップなんだから判断しろよ、誰がじゃあそれをいいか悪いか裁定するんだ「天」か、それとも死んだ先先代か?などと、最初からこれかとムッとしたが、表情はマスクで隠れていた。それに書かれていることなんてコッチで読めばわかるんだから、書かれていることを話してもつまらねーだろ、と、また険が眉間に出そうになった。

まあ、質問に対しての台本がないと、酒の席の不満みたいなのが、ポロポロ出てきちゃう人だから慎重にしているのだろうが、もっと柔らかな思い出話みたいなものを出せないものかね、と思いながら、

「いえ、そういう本題から外れた思い出話を、私たちが拾っていきますし、P腹さんのお話、とても面白いですよ!」と、ヨイショした。

若手や中堅が、わからない時代のことを尋ねるのだから、そんなにつんけんしなくてもよいのにと思う。

「未熟者君は、歴史得意なんでしょ?むしろ、未熟者君が見たわが社の歴史を知りたいなあ!」

歴史に得意も不得意もなくて、パーツをどれくらい持っているか、パーツを常に磨いているか、の話だと思うけど、そんなことで対立しても仕方ないので、

「恐縮です。しかし、私が話せるのは結局外形的なことばかりで、実体験に裏打ちされたP腹さんのお話には敵いません。そんな時代からのお話がいただきたいんですよ」

と、ヨイショにヨイショを重ねる。

とまあ、会議というか、どのようにP腹さんを乗せていくかという話に終始して、終わったのが20:00。まあ、いいかと思いつつ、木曜日は家路を急いだ。

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