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佐藤錦とサミット

軽い脳梗塞になった実母からさくらんぼが届いた。メールの絵文字過多も復活していたので多少安心した。

さくらんぼを開けてみたら、佐藤錦と「サミット」という品種が入っていた。

「サミット」を知らなかった。

アメリカンチェリーのような外観で、甘さもまた、と思って口に入れたら、酸味は少なく甘味は多くという予想は合っていたものの、瑞々しさがあって、繊細な味だった。

「サミット」はカナダ原産の晩成系の品種らしく、色が黒くなればなるほど甘くなるが、裂果も多いので収穫時期が悩ましいようだ。6月末から7月が旬とのこと。

佐藤錦は安定の酸味と甘みのバランス。

色がいい

少し表面にダメージも見られるが、この程度はむしろ甘みを強めるもので、チルド室でもう少し水分が飛ぶと、甘く食べられるだろう。

ただ、サミットの長期保存は難しいと書かれていたが。だから、ジャムなどの加工に向くということなのかもしれない。

青森県の南部町は、八戸市の南。実家のあるあたりからは、相対的に近い。名川フルーツセンターという道の駅で購入されたもので、盛岡に行くのとさほど変わらない距離なので、こっちにきたんだろうと思われる。さくらんぼの里らしい。

サミット

南部藩と関係が深いと伝承されてきた我が家だが、単に農民だっただけである。

南部氏は、山梨県の南部町から分かれてきて、南北朝時代に北畠顕家なんかと一緒に尊氏と抗争した一族が力をつけて戦国大名化して、幕末まで存続したとされる。

南部町もきっとその「南部」とのつながりを強調する名称なのかもしれない。古老は、八戸は津軽に騙されて取られた土地だとかなんとか昔言っていたが、正直私にはリアリティがない。秋田は新政府軍だからという言葉も聞いたことがあるが、その古老ももちろん幕末に生きていた訳ではない。

我が家の祖先が、幕末、戊辰終戦間際になって「奥羽越列藩同盟」に加わった南部藩の徴兵に参加し、秋田藩から来た農兵と八幡平あたりで小競り合いになって、エイヤっとクワかなんかを振り下ろした途端に気絶して、気づいた時には周りに誰もいなかったので、家に戻ったという伝説が残されている。

それを聞いたのは結構後だったのだけれども、そういう話いいじゃない!と嘘か誠かわからぬ伝承を、酒を飲みながら楽しんだものである。

脳梗塞を患った実母に会いにこの夏は岩手に多少帰るかもしれない。

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