【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 9

私は、黒岩さんの家を見に行った。なぜ、住所を知っているのかというと、森と一緒に見に行ったことがあるからだ。

森は、こうした下調べを入念にする男だったが、フラれた後はあっさりとしていた。嫌な感じも残さない。それは森が「彼女」が欲しいだけで、「彼女」の自分に対する献身や心のつながりといったものを期待していなかったからであろう。神部さんから対象を移した黒岩さんにもすぐに振られていた。

後年、「ストーカー」という言葉が世間を騒がせるようになって、森のこの周到な下調べ癖を「ストーカー気質」と呼べるのかどうか検討したことがある。そういう意味で森は「ストーカー」ではなかった。こっそり忍び寄る、音が聞こえないように歩く、という意味では原義に近い「ストーカー」だったかもしれないが、失われた愛情に粘着する男ではなかった。そもそも他人の愛情よりも、セルフイメージの維持に汲々としている男だった。

ストルガツキー兄弟のSF小説である『ストーカー』を読んだとき、ゾーンに侵入する主人公の姿に森の面影を認めた。森は、そういう意味では本当に人を「好きに」なったことはなかったのかもしれない。あの「ストーカー」のように、「ゾーン」に侵入し目的のものを手に入れることではなく、ただ「ゾーン」に侵入して獲物を狙う自分の姿が好きだっただけなのかもしれない。

森は、そして、好きになったはずの人から、刃を向けられて絶命してしまうのだった。

黒岩さんの家は、まだそこにあった。中学時代、私は黒岩さんと最も親しかったと言える。黒岩さんの弟は、部活の後輩だった。活発な男だった。活発だと私が思っていただけなのかもしれない。やがて精神の病を発症した。残念ながら本当のことだ。

黒岩さんの家は、とある宗教を信仰していた。なぜ、それがわかるかというと私の家も、その宗教の信仰者だったからだ。私は、そのことをある時に理解した。そして母親に、そのことを問いかけた。すると母は私に「私もそれを知って結婚して3日目に離婚しようと思ったからね」と告げた。

母は実家に電話して相談したら、それが日常になるようなら離婚しなさい、と言われ、日常になってないならなるまで我慢しなさい、と言われたという。

私は父がその宗教の信仰を私たちに強要しないことを徐々に理解した。しかし、その宗教が刊行する出版物は家に届いていたから、信仰者であるということは事実だった。私はそれを読み込んだ。そして、それら信仰者が発する記号に対して敏感になった。そして、黒岩さんの言葉の端々に、それら信仰者が発する記号が現れることをあるときに理解した。黒岩さんの家庭もまた、おそらくは信仰者の家庭なのだ。

黒岩さんはそのことを理解していないかもしれない。しかし、その信仰の外部にいる人々は、その記号をできることなら忌避すべきものとして認識していた。

私は、一度その信仰を対象化しているから、信仰者としての記号を自分自身が発してしまうことを極度に警戒した。例えば、書写の時間に家から持ってくる新聞一つをとっても、記号があふれ出ないように警戒することを私は怠らなかったが、黒岩さんは無警戒だった。自覚しての無警戒なのかどうかは、よくわからなかった。なぜなら、その話題で同意してしまうことを、私自身が極度に警戒していたから。

黒岩さんの弟が精神の病を発症したことは、そのこととは無関係であったかもしれない。ただ、それと自覚したときに、自分は如何にふるまうかという問題が私と同様に彼を襲ったのかもしれない。同じ問題があることを後年。島崎藤村の『破戒』から学んだ。

私自身は、その信仰者の家庭の子どもであるということを隠していたから、そして父も積極的に活動するわけではなかったから、世間的には何もなかったのごとく時間は過ぎた。そして、そのこと自体が、私自身の人生の選択に関与したと邪推したこともなかった。逆に信仰者は比較的そこかしこにいたので、逆にポジティブに作用したことはあったかもしれない。ただ、黒岩さんの弟が、そうした問題によって恋愛などの見込みを断たれ、心を病んだという可能性は否定できない。

黒岩さんの弟は、今でもここに住んでいるのだろうか。住んでいるのだとすれば、48歳になっている。もう、いい歳だ。随分と、外壁は古びており、サイディングボードを張り替えようとする意志も、経済力もないようだ。

黒岩さんが、神部さんに対して、冷ややかな態度を取りはじめた理由に、この問題があったかどうかはわからない。私はそういう点でいえば、早熟だったので、大人の世界がもっている《差別と区別の体系》について敏感に反応できた。信仰に対する批判的な発言がたとえ無自覚に行われたとしても、私自身が信仰者の家族であるという認識を相対化していたので、自分を被差別の対象の外側に置くことができたのである。

もし、神部さんの父母がとある宗教に対する批判的な言葉を日常的に使っていたとして、神部さんがそれを教室の中で無意識に反復してしまうことはあったかもしれない。そして、その言葉を黒岩さんがダイレクトに自分の家族への批判として受け取ってしまったということもありうる。

教室の中には、ただの子ども同士の関係が、網目状に張り巡らされているだけではなく、そこに二重に、保護者のステータス関係の網目がかかっている。信仰者であるかないか、という区別のヴェールもまた同様だ。

子どもたちはその透明なセロファンのようなヴェールの存在をうかがうことはできない。その点私は幸せだったと言うべきだろう。そのヴェールがあることを理解し、その区別のヴェールに沿った発言を行うことができたのだから。

私はノートにメモ書きしながら、信仰者か否かだけではなく、世の中に様々にある複数の信仰の信仰者か否かを記述するようにしていた。もしかすると、「諍い」の原因は、この透明なヴェールにあったのではないか、ということを黒岩さんの家の寂れ具合をみて、唐突に感じ取ったのであった。

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