【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 5

5-1 榊原さんの話

私は、酔っ払ってとりとめもなくなっていく同級生たちの会話を書き出し、滞在するホテルの一室で、それをまとめ返していた。

まずは榊原さんの話。

榊原さんだが、県内では中堅の公立高校に進学した。敢えて都心から遠ざかる準進学校を選んだ。

同じ中学から進学した人がほとんどいなかったので、小学校の頃から人から褒められてきたために切れなかった長い黒髪をばっさりカットした。

今まで容姿ばかりが褒められてきた。容姿だけで好意を寄せてくる人もいた。容姿のせいで敵対視されることもあった。そうしたことがいちいち煩わしく、今までの自分のイメージを壊したいと思った。

身も心も軽くなった感じがした。昔の自分の評価の記憶は薄れ、評価を維持するための無意識の演技もあまり必要としなくなった。

「自分は自分をかわいいとは思わないし、かわいいからといってチヤホヤされる自分があまり好きではなかった」

榊原さんはあの場でそのように言ったと記憶しているが、これは大人になってからの記憶の改変だと私は思う。髪の毛を切ったのちに、その動機を創造し、自分の過去を適切に意味づけることによって現在の榊原さんのアイデンティティの輪郭を固めたのではないか。

手に職をつけようと3年制の看護専門学校に行った。大学へ行くほど、受験勉強が好きだとは思えなかった。今思えば、短大の看護科に行けばよかったと思う。あるいは、看護科のある高校。ただ、あの時点では選択肢に入らなかった。

やがて看護師として働き出した。

出会いは少なかったが、元夫とは友人主催の合コンで知り合った。同じ病院で働いている若手研修医ともいい雰囲気だったので、元夫と付き合うか、その研修医と付き合うか悩んだが、その研修医が実は病院内で三股をかけていたことが発覚して幻滅。その研修医は今やベストセラー医療小説を書いているが、世の中は意外にチョロいものだと思う。

結局、元夫と付き合い、やがて結婚することになった。

元夫は当時はまだ珍しかったIT系の会社で、激務だった。自分も夜勤などが不定期に入る生活で、すれ違いが積み重なって離婚した。そこまでの諍いはなく、比較的穏やかに別れた。

実家に戻って、近隣の病院で働いている。子どももいないので、そこそこの収入がある。安定していると言えば安定している。40歳になって、退屈を覚えるようになった。スマホを入手してSNSに登録した。

SNSをやるようになって、中学校の同級生(中学が同じということは半分は小学校も同じ)を見つけ、交流するようになった。あれほど振り捨てたかった小中学校の時の自己イメージだけれども、今になって懐かしくなってきた。

照本とはそこで再会した。昔のように乱暴だったら嫌だなと思って、面倒くさくなりそうなら、アカウントを削除しようとさえしていた。照本のことは昔から嫌いではないが、自分勝手なところは面倒だと思った。

ところが、成長を感じられた。分別が身についたように思った。

好意を表にしながらも、無理に接近しようとしてくるわけでもない。最初、その好意の表明が煩わしいと思ったが、それ以上の踏み込みがなかったので安心した。ただ、距離をこれ以上縮める必然性がない。

中学校からずっと私に好意を持ち続けているなんてストーカーみたい?と思わなくもなかった。好意の長期の持続は重さに感じられる。話して、それは誤解だと理解した。今は信用している。

好意の有無や結婚という制度に関係なく同居すれば?という人もいる。同居も、今の自由が狭まるので煩わしいと思う。それを照本に伝えたら、賛意を示してくれたので、それは好ましいと思った。

離れることで、距離が縮まることもある。

「しかしなぜ、それでいて結婚はともかく同居してみようとさえしないのか?」

私は訊いた。

友人である時と、恋人になった後と、結婚した後と、男は変わる。

照本もおそらくは例外ではない。信頼感があるといっても、最終的に不信感が勝ってしまう。それは男一般に対してだ。

だから、今のままの距離感がいい。

照本と同居するかどうかは今後の感情の変化に任せる。

誰が来るのかわからないから、同窓会は楽しみ。

実際にナカさんとも会えたし。

中学時代は、とくにナカさんと親密に話したことはなかった。

そもそも、ナカさんは進学校に行く別世界の人だった。ただ、同じ医療関係者ということを知り、もっと話がしたいと思った。

榊原さんの話を聞いてよかった。彼女は意志のある人だ。中学校のときの印象とは異なる。自分の抱いていた印象が間違っていたのだろう。見た目が印象を勝手に作り上げている場合がある。彼女が人気者だったから、私は彼女と親しく接することを拒絶していたように思う。私が傲慢だったのだ。

この話に、何かヒントはあるか。あるとすれば、照本本人を目の前にして、好意のあるなし、性欲のあるなし、同居の拒絶が表明されたことだ。人として信頼はしているし、好意が育ち始めていることを自覚しているが、性行為をしたいと思っていないし、同居になるとなおさらだ。ましてや結婚はしたいとさえ思わない。

この絶妙な49歳の女性の感情を、自分は言葉にできない。しかし、豊かな精神生活があることを予感させる。青年期とは違って、軽々しく自己開示できないし、したくない。そんな気持ちのありようもうかがえた。

もっと、あなたは一体何者なのですか、と訊いてみたくはあったけれども、自己をどう記述しようとするのかという関心事は、一般的に理解されない。個人情報を聞くのは何らかの下心ゆえだろうと邪推されないとも限らない。自分が聞きたいのは、榊原さんの個人情報ではなくて、彼女が自分をどう記述しようとしているのかだけだ。

5-2 鬼頭の話

鬼頭は、県内で平均的な公立高校に進学したという。

「平均的」と分類することが一種の傲慢だということは理解している。しかし、1990年当時、進学先への関心は強かった。その観点からみて、偏差値50前後の公立高校に進学したという意味でしかない。

特に勉強が好きというわけでもなかった。むしろ、ナカさんが勉強漬けに自分からなっているのを見て、理解できなかった。楽しいのか?と思って、自分も問題集などやってみたが、楽しくなかったのでやめた。

毎日が楽しければいいと思った。喧嘩は嫌いだった。なんでも良かった。

そこ、俺はわからないんだよね?楽しいってどういう状態なんだ?どういう心持ちが持続することなんだ?と私は訊いたと思う。

「ぼんやりとしていても誰にも何も言われないというか。何かを選んでも深刻にならないっていうか。」

もっと埒もない説明が続いたと思うが、趣旨はそのようだった。

弟や妹の面倒を見なくてはいけないと思ったので、公務員になりたいと思って、大学受験をし、みんながあまり知らないような大学に受かった。

講義にはあまり出なかったが、公務員試験の対策はしっかり受けた。

予備校のようなところにも行った。

このときばかりはまあまあ勉強した。

あとは、当時の大学生らしく遊んでいた。

公務員試験に運良く合格し、今は役所で福祉関係の部署にいる。

同じ役所で働いていた人と結婚した。なんとなく気が合った。一緒にいて楽しかった。

子どもは3人いる。

志村さんのことを自分から好きになったことはないと思う。仲は良かったかもしれない。係となると一緒に組むことも多く、よく話をした。

先生が意図的に同じクラスにしていたのかもしれない。クラス替えをすれば大抵志村さんとは同じクラスになった。むしろ、志村さんが自分のことを好きだったのではないか。

それくらいの関係。

高校に進学したら、中学校の人間関係は忘れた。

大学にいったら、高校の人間関係も忘れた。

SNSは登録だけしてずっと使っていなかった。

ある時、志村さんからメッセージが来た。

それで、昔の同級生が何人かいることがわかった。

志村さんも、名字が変わっていて、結婚したのだと思った。

実名検索したら、志村さんがインタビューを受けているネット記事がヒットして、懐かしくなった。

特に同級生たちが何をしているかに関心はないけれど、楽しく現況を報告し合えればいいと思った。

楽しみは楽しみ。

鬼頭の話は相変わらず穏やかだ。他人への関心が薄く、自分を記述しようという意識に欠けている気がする。もちろん、自分を記述しない人生があってもいいと思うが、記述しなかったり、記述されなかったりする人生は、空虚じゃないかろうか?

鬼頭どう思う?

「うーん、そうだね、空虚でも楽しければいいんじゃない?」

なるほど。

5-3 弘海くんの話

弘海くんは、県内で3番目くらいの公立高校に進学した。

生徒会長だった置傘くんも一緒だった。

小学校、中学校とやったサッカー部には入部せず、バドミントンをやるようになった。特に花ひらいたわけではなかったが、部活は楽しかった。

置傘くんは相変わらずバスケをしていた。

法政大学に進学した。

食品系の会社に就職して働いていたが、業績が伸び悩んだ。営業に疲れていたところに、たまたま「神ちゃん」(弘海くんの妻、旧姓は「神部さん」)と出会った。思い出話に花が咲いて、付き合うようになった。

神ちゃんは、美容系の仕事についていた。当時ロハスブームで、脱サラしてワイン造りをしようとか、自分の店を出そうとする人が周りに多くいた。自分も蕎麦打ちにハマった。

神ちゃんもデトックス系の食品を通販で扱いたいという希望があったので、それを合わせたお店をつくろうというふうに話がまとまり、出店のためのお金を借りるという段になって結婚した。

土地は、神ちゃんのご両親が用立ててくれた。会社は退職した。

店の評判は年々良くなっていった。そば粉は、長野県の開田高原の農家さんと契約して取り寄せている。一部、北海道のそば粉もブレンドして使う場合がある。どちらもクオリティはいい。

「一度食べに来てよ。」弘海くんは言った。

コロナでダメージはあったが、デトックス系商品の売り上げはそこそこあった。神ちゃんのご両親も健在なので、生活は安定している。

ただ、最近神ちゃんの体調が悪い。いつもカリカリしている。更年期じゃないかと本人は言っているんだけど、痩せていってる。でも食欲はあるんだよ。その割にすぐ疲れちゃう。だから、前々夜祭にも同窓会にも参加しないと言っている。

小室さんが前々夜祭に来ていると知ったら、猛烈に怒ると思う。

だから、今日はあまり飲まないし、早く帰るつもり。

ナカさんにも会えてよかった。ナカさんが来てたといったら、神ちゃんも喜ぶと思うよ。

神ちゃんは、同じクラスだったとき、なぜかずっとナカさんの隣りだっただろ?

あれはたぶんナカさんが神ちゃんのことを特別扱いしなかったからだよ。ビーチボーイズのCDを貸し借りしてたことなんか、よく話していたよ。同窓会にはいかなくても、神ちゃんはナカさんには会いたいんじゃないかな。

子どもは一人。女の子。

席をくるくると変えて、じっくりと皆の話を聞いた。

榊原さんのように、自己を記述するのが上手な人もいれば、鬼頭のように記述そのものを忌避する人もいる。弘海くんも、自己を記述するよりも、人に何かを伝えようとする意識の方が強い。

ここに反社会的なルサンチマンを育て上げている人はいない。実は、そういう人を探そうとしていた。

次の小説は、反社会的なルサンチマンを抱えたまま50代になった男が、その怒りを同窓会にぶつけようとして、阻止されるという物語にしようと思っていたからだ。

これでは見つからないな。

もっともルサンチマンを「反社会的」なほどに肥大させた人間が、同窓会に喜んで集まるとは思えないが。

それにしても神ちゃん、いや神部さんのことはすっかり忘れていた。

確かに、彼女とは席替えをしても、なぜか隣だった。

無視されて、陰口を言われて、登校拒否をしていたときも隣だった。

私はといえば、受験勉強というよりも、問題を解くことが楽しくて仕方がなかったので、神部さんがいじめられていることには気づかなかった。そもそもなんで休み始めたのかもわかっていなかった。

あとから、黒岩さん、榊原さん、池山さんといった元友人たちとのいさかいが原因だったと噂された。榊原さんについては、濡れ衣だったようだ。

神部さんが復帰したのち、今度は黒岩さんが休み始めた。

黒岩さんは、どうしているのだろうか。

黒岩さんは、神部さんと同じ小学校で、少なくとも一年生のときは、同じクラスで仲が良いようにみえた。

私は、残り3人の話をまとめ返すことにした。

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