話がとっちらかってる

細谷博の岩波新書『太宰治』が刊行されたのは1998年。私がちょうど大学4年のことで、就活もせず、とりあえず市場で働きながら、ちょっとした試験をモラトリアムのつもりで受けて、なんだか知らないけれども受かったので、わけもわからず市場の労働と並行して行くことが決まった、そんな真空の時期にあたる。

このころは文学についても、気持ちが離れていて、もうちょっと別の方向性を探し、かつて東博に勤務し、いまはどうやら関西の方で多少偉い人になっているっぽい後輩と一緒に毎週末原宿とかに出入りしていた。後年、この男のレポートの下書きを手伝ったことがあって、すっかりおめえは偉くなっちまったじゃねえか!と、ニヤニヤしながら話しかけたい気持ちでいっぱいである。どんなに善人づらをしていても、誰でも脛に傷を持っているものだ。

先生に、「君はジャーナリズムの方が向いているんじゃないか」と言われても、あんまり気にしないで、毎日を適当に生きていた世紀末。どうせ世界は滅亡するんだし、と気ままにやっていたら、滅亡しなくて焦った。そんな時節に、よりによって岩波新書の、しかも太宰治の本を手に取るか?取らないよ。なので、このような本が1998年に出ていたとはつゆ知らず、いまになって古本で所望し、今手元にある。

とりあえず太宰の半世紀を追うのは疲れるし、割と同じことが書いているので割愛し、あとは、「はじめに」「おわりに」、そして、著者が読んだ短編の感想や解釈の部分について読む。そしたら、まあまあ面白い。私の母と同じくらい年齢の先生だから、そんな上から「まあまあ」なんていうのはおこがましいが、へりくだるのも疲れた。いいじゃん、「まあまあ」で。絶対読めなんて本も、すげーつまらないという本も、世の中にはないと思う。まあまあ面白いものと、あんまり面白くないもの、だけがあるんじゃないか。

細谷先生が冒頭でとりあげている「たづねびと」の読みは、良かった。これは読みたくなる。それはとくにいい。1998年当時の、この本で言われているシラけた若者の一人であった私には、そもそも本自体が目に映らなかったけど、25年位経って、やっと届いた。そして、なんとも心に残る。それでいいと思う。

細谷先生が最後に引用している太宰が言ったとされる一節も、オッサンになった読者には届く。

生きると言うことは、一枚一枚着物をぬいでいくことだよ。一枚一枚ぬいで、身軽になってゆくんだ。貯金することではない。

いいねえ!いいじゃん!そう思った。

先日、一平氏の横領の話をあげたときに、やっぱり大谷さん知っているんじゃないか、知ってるのをほっかむりしているなら、むしろブラザーにあげたと言っちゃえば、なんて軽口を叩いたけど、FBIに反証されたので、この言葉は取り下げる。すみませんでした。ただ、大谷さんは、一平氏をそれなりに信頼していたのに、一平氏はFBIの調査が事実だとすると、それを食い物にしていたんだなあ、と遠い目になる。友情なんて、やっぱし、どこにもねえなあ、と無性に元気になる自分がいた。美談は嫌い、人間社会なんて汚れて当然。そんな、認識が強化されることで、はいはい、どうもやっぱり最近、心がおかしいですね。こんなこと書いても、どうせ誰も読んでないし、いいや。

そんなことをまた書こうと思ったのは、細谷先生が引用している『津軽』の一節。

大人というものは侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。

戦中に書いたものだけど、戦後に書いてもよかった、この文章。いいよね。

大人とは、裏切られた青年の姿である!

普段さ、人に理解できる文章を心がけましょう、だから、疲れっちゃうんだよね。理解できない文章、書きたいよ。そんなの書いていると、あいつはどうしたとか言われちゃうんだけど、どうしたもこうしたもないですよ。

まあ、要するに、太宰の作品よりも、人生を俺は知りたいだけだったのかもしれないってことだ。励まして、もらいたいんだよね、きっと。疲れているのかなあ。句点の打ち方とか、治に影響を受けた富栄っぽいよ。そういう感じ。

読書感想でもなんでもない。近況でした。

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