【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 11

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私は娘に『ウィトゲンシュタインの助言 1〜10』と題された原稿を見せて感想を聞いた。

娘はしばらく読んだ後、目を伏せた。

「それで、別居の理由は、お父さんが隠していた宗教2世問題にあるってことなの?」

「これは、あくまでフィクションだよ」

「そう」

娘は今までのことを思い出しているようだった。私の父は決して、孫たちにそうした信仰者としての側面を見せることはなかった。母も、うまくその辺を隠していたように思う。世評から考えて、そんな信仰者の形があるのだろうか。付き合いだからとイヤイヤ参加して、配布物だけは仕方なく購読しながら、自分以外の家族を巻き込まないというやり方が。いずれにしても、そんな親父は地方のグループホームで余生を送っている。

「お父さんはそれで、彼女…神ちゃんって人に何を言ったの?」

「私、は必ずしもお父さんではないけれどね」

「はいはい。でも、この会話の空白にどのような文言を入れるか、迷ってるから私に原稿を見せたんでしょ?」

「何と言ったと思う?」

「黒岩さんって、実は信仰者だったって知ってた?、かな。」

「ふうん、その後のブランクは?」

「実は自分もそうなんだ、じゃないかしら。」

「なるほど。隠していた信仰告白をするっていう選択肢ね。「私」は黒岩さんの家を見に行き、自分が隠していた事柄に気づき、そのために見てみぬふりをした自分を後悔して、赦しを乞うたわけだね。」

「えっ、違うの?お父さんは何を入れようとしていたの?」

「それが、考えられないんだ。最善の言葉を考えているんだけれども。」

「そう」

私は、最初のブランクに

《黒岩さんって、あの時君に嫉妬していたんじゃないか?》

という言葉を選んだ。

そして、

《本当はあの時、私は君のことが好きだった。》

と、言った。

しかし、あくまでフィクションだ。

「以前、善がどうこうとお父さんは言っていたけれど、このおじさんのセンチメントがどうして最善の選択を考えさせることに結びつくのかしら?」

「フィリッパ・フットという哲学者がいた。その人は、善なる行いについて、義務論や功利主義とは異なる見地から、それもかなり古典的な概念である徳という概念を復活させて論じたという。『人間にとって善とは何か』という本は日本語でも読める。最初は、アナクロニズムなのかと思ったよ。

けれども、フットはルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインにこう言われたことが気にかかっていたようだ。

本書を書いているあいだずっと念頭においていたウィトゲンシュタインの助言、哲学の論題一般について、そしてとりわけウィトゲンシュタインの哲学の論題についての助言に触れておこうと思う。ウィトゲンシュタインはオックスフォードでの公開の討論会に二度出席したが、そのうちの一回で次のような発言をした。相手が、議論の行きがかりから、明らかに馬鹿げたことを言わざるをえない状況になったが、言いかけて、馬鹿げていると気づき、(そうした状況ではそうしたくなるものだが)何かもっと気の利いたことを言おうとしたときだった。ウィトゲンシュタインは、「いや、君が言いたいことを言って、粗野に、そうすればぼくたちはうまく議論できる」と遮ったのだ。

どういうことだかわかるか?私にもわからない。哲学的な議論には、解答がないように見える。けれども、続けてフットはこう書いている。

哲学をするには、馬鹿げていて粗野な、そして厄介な考えを払い除け整頓しようとするのではなく、公の場で十分に弁ずる機会をそれに与えるべきだという考え方は、非常に有益な考え方だと思う。

そもそもフットの善に関する議論は、何度読んでも、わかるようでわからないんだ。ただ、問いだけはわかる。

「なぜ正しくて善いことをすべきなのか」といった問いは自然に生じる問いでありながら、理解するのが困難である。

これを読んで、善の哲学的議論はわからなかったのだけれども、善を語るということが「馬鹿げていて粗野な、そして厄介な考え」とみなされていて、それを率直にウィトゲンシュタインの助言に従って「粗野に」語ってみようとフットは試みたのではないかと考えた。

小説というものも、もしかするとこうした粗野なアイデアを形にすることに意味があるのかもしれない、と思ったんだ。」

私は続けた。

「特殊な経験、過激な経験、極端な経験は、読んでて血湧き肉躍る。整然と書かれたもの、流暢に書かれたもの、緻密に書かれたものは、頭を整理して、正確に組み立ててくれる。ただ、それ以外のアイデアが、あるいは経験が、感情が、きれいな形になる前の状態だからといって、書いてはいけないというわけではないと思うんだ。」

「ふーん、そういうもの。よく、わからないな。」

「私も、粗野に、という意味がずっとわからなかったけれど、ごまかさず率直に、ということなのかもしれない。」

「読まれることを意識しない、ってこと?」

「もちろん、そんなことはないんだけれども、もう、私には取り返すだけの国もないし、気概もない。お前たちが取り返そうとするのを応援することしかできない。妖精もいないし、流れ着いた連中もいない。ただ、孤島にひとり過去の記憶だけ持って生きているようなものだ。その過去の記憶を再解釈し続けて、私の人生は素晴らしいものだった、と最後に言いたいだけなのかもしれない。」

いつしか雨音が増している。あらしが来たのかもしれないと私は思った。

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