【第2稿=追加稿】ウィトゲンシュタインの助言 5-2

私は皆の話を聞いたあと、榊原さんにあることを尋ねてみた。

できるだけ率直に言うよう、気を付けた。

「榊原さん、ちょっと思い出してほしいんだけど、神ちゃんが3年生のときに不登校になったじゃない?嫌な気持ちになったら申し訳ないし、昔のことなので、それでどうこうってことではないんだけど、実際のところどうだったのかな?覚えてる範囲でいいんだけど。」

榊原さんは、少し、考え込んだ。

「由樹子と奈緒子の諍いね…。あれは、いじめというよりも、二人の喧嘩の延長だったと私は思ってる。私も由樹子と仲がよかったから、その仲間と思われていたようだけど、実際はあまり関係がなくて。奈緒子は、小学校が違ったから、一緒にいれば話すけど、友達とも言えなくて。同じ小学校だった由樹子を介して、私と奈緒子はつながっていた、そんな感じね。」

「二人の喧嘩…これを言ったら怒るかもしれないけど、池山さんと榊原さんと黒岩さんの三人が、神部さんを無視して、陰口をして、仲間外れにした、という理解を自分はしていたんだよね。池山さんはどうだったんだろ。」

「理恵は…覚えてないけど…確かに声が大きかったから、由樹子が奈緒子のことをアレコレ話していたときに、相槌を打ちながら聞えよがしに言ったかもね。私は、由樹子の愚痴のようなものを聞いて声を潜めながら相槌を打っていただけだけれども、人相が悪いので、奈緒子からすると、何を言われてるんだろって、思ったかもね…」

池山理恵は、体の大きな女子だった。口さがない人だったが、感情をはっきりと声に出すタイプだったので、黒岩さんに同情するなかで、神部さんに対する敵愾心を述べたのかもしれない。

「このことって、弘海くんに言わなくていいの?」

「そうね。でも私は、奈緒子をいじめたつもりはないし、実際に何かしたわけではないの。何もしなかっただけ。何もしなかったけれども、敢えて言えば、由樹子の愚痴は聞いた。これは友達の話を聞いただけなんだけど、いじめの行為に該当するのかしら?」

「喧嘩の理由は知ってる?」

「それがよくわからないの」

「そうだよね。でも、愚痴の時に何か言ってたんじゃないの?何かされた、とか。それこそ、黒岩さんが好きだった椿井と神部さんが何かあったとか」

「椿井との関係を壊したのは、あなただったでしょ。それはもう2年生の時のことで、すでに終わってた。だから、受験もあって、そっちにみんな気が向いてる時になんでそんな怒っているのか、よくわからなかったのよ。理恵も、わかってなかったんじゃない?」

「そうか。そうだよね。覚えていないよね。」

私も、椿井と黒岩さんの関係を壊したことをすっかり忘れていた。

黒岩さんが、椿井のことを好きになった。

ただ椿井は素行が悪かった。

だから椿井と小学校から仲が良かった苑田に手紙で相談した。

手紙には「椿井くんのことが好きだけど、彼はどう思っているのか、どんな人なのか知りたい」という趣旨が書いてあった。

苑田は、正直に答えようとしていた。

「椿井は彼氏にするにはあまり適切じゃない」と。その理由も書いてあった。その手紙をバッグの奥に隠していた。

苑田は、バスケの試合で午前中公欠だった。私たちは、苑田のバッグを見た。私が、当時の流行に沿って、「公欠男のバッグの中身をみようぜ」と椿井に持ちかけたのだ。そんなシリアスな手紙の返事が入っているとはゆめゆめ思わなかった。

バッグを開けた。椿井は執拗に何が入っているか探した。紙片が見つかった。私はその場から離れた。別のグループの輪に入った。横目で見た。椿井は不快な顔をしている。アイツ帰ってきたらちっと…みたいな声が聞えた。なぜ、今、それを持っていたのか。そして、黒岩さんはその状況をみてすべてを把握したらしく泣いていた。

私はただ苑田のバッグの中身を見ようぜといっただけだ。何もなければそれで終わったはずだ。たまたまその紙片が入っていたときに当たっただけだ。紙片が入っていない現実も引けたはずだ。そもそも紙片をそのタイミングでいれておいた苑田も悪い。私は自分の行為を正当化した。無罪のように解釈しようとした。事態を細かく分割していくと、私の行為は悪であったかわからなくなっていく。

そうして、椿井に対する黒岩さんの恋は終わった。

「集団の中で何か事件があったとする。それをうすうすは知りえていたとする。しかし、その事件にかかわるほどの当事者性を持っていない。黙った。何もしなかった。何もしなかったことが罪になるだろうか。パワハラ、セクハラをしている上司の行いをうすうす気づいていながら、自分には関係ないからと黙った。上司の業績は素晴らしいものだから、それと相殺できたり、それとこれは別物だと断じる。それもわかる。ただ、そうした出来事と我々のクラスで起こったいじめの件は、すべて同じ根から出てはいないだろうか?」

私は、そう榊原さんに問いかけようとしたが、できなかった。榊原さんが、私に思い出させた件は、彼女なりの牽制、お前も同じ穴のムジナじゃないか、という主張だった。少なくとも、その場では、そう私に機能した。

私にはそれを問いかける資格がない。しかし、それを問う汚れなき資格を持つ人がどれほどいるだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?