【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 3

医局を追われた私は、僻地に娘を連れて移住した。妻は息子と一緒に仕事をつづけた。離婚はしなかったが、別居に近かった。夫婦生活に問題はなかった。娘も母親に会いたければ会いに行くこともできた。妻も時間がある時には、こちらへきて過ごした。合理的に考えた結果、別居で暮らすのが適切だった。

移住したとき、娘はまだ小さかったから、この生活が我が家のスタイルだと思っていた。小学校に入ると、他の家と違うことにとまどっていた。ただし、いくばくかの資産があったために、不自由はさせなかった。妻も定期的に会いに来たので、娘もそのうち納得したようだった。

村の診療所を引継いだ。相談事は多いが、のんびりと暮らせた。難しい患者は、大きな病院に送ればよかった。厳しい選択を迫られることなく、依頼される書き物の方に軸足を移しながら、時々湧き上がる嫉妬や焦燥感を矯めることで、日々を過ごしていた。

娘が成長し、ある程度の貯えができたことで、自身の職場を閉めた。非常勤でいくつかの病院に出入りし、余った時間は書き物と、村のお年寄りの訪問診療をした。職業にちなんだもの書き物が多くなり、創作の依頼は少なくなった。ただ、ぼんやりと、日々を過ごした。朝起きて、食事をつくり、草むしりをして、近所の人の仕事を手伝いつつ訪問をした。娘の勉強もみてやり、夜に書き物をした。

娘が大学に進むことになり、なぜ母と別居しているのかと聞かれた。仲が良ければ夫婦別居はもっとも合理的な生活スタイルだと述べた。自分のことは自分でやる。どちらかがどちらかに合わせることで生まれる軋轢もない。会いたいときに会う。合理的じゃないか?《浮気をしない》が契約内容にある。それさえ守っていればいい。

「でも、お兄ちゃんと私が別々っていうのは、どういうことなの?」

本当は、お前と兄を二人とも連れて行く予定だった。けれども、妻がそれでは寂しいというので、兄を説得した。そういうものだと思えば、兄妹が一緒に暮らさずにいることにも耐えられると思った。そこだけは、あまり合理的とも言えなかったかもしれない。実際、お前は大きくなった。これからは母の近くに部屋を借りて住みなさい。

「お父さんはどうするの?」

私も、ここを本格的に引き払って、少し離れたところにワンルームを借りるつもりだ。引き払うといっても、大事なものはすべて置いていって、週明けに訪問診療と合わせて見に来ることにするつもりだ。むしろこれからの方が家族の団らんが実現できるかもしれないな。

この別荘は、妻がかつて買ったものなんだ。皆で過ごしていたとき、この別荘は放置され、荒れていた。だから、医局の政争に巻き込まれて失意にあったときも、別荘に手入れをすることで気がまぎれた。私にとっては、大切な建物だ。

ただ、さすがに退屈だ。子育てが終わってしまうと特に退屈さが身に染みる。私に取り戻す王国はないが、何かを探す意志はある。探しているものは何かはわからない。けれども、今なら探すことができそうだ。探しながら、探しているものを考えてみたい。わかるか?

娘は、腑に落ちない顔をしていた。

「《自分探し》というやつ?」

自分…なのかな?自分…ではないような気もする。虚栄心だけは満足させられなかったが、それ以外は満足していると思う。地位も金銭も人並みの生活も、ここにはあると思う。しかし、何かがまだ足りない。足りないというよりも、ある過剰さが私を搔き立てるんだ。欠如を埋めるのではなく、過剰さを収めたいんだ。

私はそこで過去の想念を止め、目の前にいるかつての同級生の幾人かを見やった。同級生の中に見つかるだろうか。探し物が。

「ナカさんじゃない!久しぶり。卒業式が終わった後、みんなで写真撮ろうなんて言ってたのに、ナカさん帰っちゃっていないんだもの。覚えてる?」

中学校のアイドルだった榊原さん。粗野で乱暴者だった照本。お金持ちだった小室さん。突出した何かがないのになぜかモテた鬼頭。蕎麦屋を開店した弘海くん。そして群馬の山奥で写真家の夫と一緒にカフェを開業する道を選んだ志村さん。この6人の共通点は、中学2年生の時に5組だったということだ。

私は挨拶し、7人目の闖入者として、誕生会で座らせられるような席についた。あまりのナチュラルさに、全員呆気にとられたようだ。私は決して、彼らと仲が良かったわけではなかった。むしろ、みんなと平等に距離をとっている孤立者として知られていたはずだ。

私以外のこの6人のうち、榊原さんと照本、志村さんと鬼頭、弘海くんと小室さんはかつて、私の曇った目から見ても親密だった。付き合っていたかはわからない。けれども、互いに特別な存在であったことは間違いないだろう。私がかつて書いたノートには、そのような情報が記載されている。35年経った今でも、同じような思いを相変わらず、持ち続けているのだろうか。

私は彼らの変わりなさに興味を持った。人は生活の中で否応なく変わるものだと思っていた。変わりたくなくても、無理に変えられてしまうことすらある。友情も失せ、親密さも忘れてしまう。思春期の友情など、流行り病のようなものだ。

一体、君たちはなぜ「前々夜祭」などと称し、ここに集まっているのか。今まで君たちはどのように過ごしていたのか。それを一つ一つ聞いてまわりたい気持ちが抑えられなかった。友情はわかる。しかし、友情の持続は自明なものではない。

「ちょくちょく、同窓会は開催されていたのかい?」

「いや、そんなことはないよ。本当にこれは久しぶりだ。SNSがなかったら、同窓会をやろうなんて思いもよらなかったと思うよ」と、弘海くんは言った。

「SNSが発端なのか。みんなあの頃の同級生と、たくさんつながっているの?」

「いや、繋がっているのは同時親しかった人たちだけで、その中に別の友人関係の広がりがあって、それをたどっていくと、あ、あいつ、今はあんなことしてるんだ!とわかる、という感じなのかな」と弘海くん。

弘海くんの蕎麦屋の顧客は、この土地に住んでいる同級生とその家族だったりするわけだから、SNSにも気をつかうだろう。

「ナカさんは、医者になったって聞いたぞ。さすが、生徒会長で勉強ばっかりしていた成果だよな。リッチな生活してるんだろ?」と照本。

「責任に鈍感じゃないと務まらないよ。それが嫌で、俺は僻地で訪問診療をしている。白い巨塔みたいなのもいれば、医龍みたいなものいて、思っているよりも多様な世界だよ。一面的じゃない。大学病院にいる限りでは、給料も思われているよりも多くはない。」

「幸せは、お金じゃないのよね。」と志村さん。

「日野春なんか、専用のピアノ部屋があるくらいの豪邸だったのに、今じゃ売れないミュージシャン改め代議士候補っていう無職だろ?」と鬼頭。

「今は医者というよりも物書きの方が肩書としては適切かもしれない。小説が書きたいんだ。中学校を卒業してからの人生を、俺は知りたい。話してくれないか?」

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