Untitled #1 ~横光の同世代人~

横光利一は1898年に生まれ、1947年に亡くなった。享年49歳。

川端康成は1899年生まれなので、年の近いこの二人が友人だった理由もわかる。

中河与一は1897年生まれ。この三人を「新感覚派」でまとめることが多い。

1924年に『文芸時代』が文藝春秋肝入りの同人雑誌として出発し、そこでの創作方針や表現が「新感覚」であった、ということから、「新感覚派」という潮流が生まれたとされる。

ただ、主要同人が活躍の場を広げると同時に、プロレタリア文学の影響もあって、1927年に終刊した。

この「新感覚」のインスパイア元としては、ダダイズム、ドイツ表現主義運動、アヴァンギャルド芸術運動だとされている。

プロレタリア文学も、スターリン期に入る前には、ロシア構成主義や映画的モンタージュの活用をふくんだ「ロシア・アヴァンギャルド」として理解されることもある。

龍胆寺雄は1901年生まれ。龍胆寺は、新興芸術派として、吉行エイスケ(1906年生まれ)、高橋新吉(1901年生まれ)らと協働、私も、アヴァンギャルドな作風は、横光や川端、中河よりも、龍胆寺などの方が代表していると思っていた。特に高橋新吉は、変な記号を使うので、わかりやすくダダだった。

けれど、横光の初期作品は、アヴァンギャルドな感じがする。

中河は『天の夕顔』が有名で、文庫にもなっているが、モデル問題があって、すなおに中河の代表作と受け取れない部分が残る。この作品は『日本浪漫派』誌に掲載されたので、太宰治と文学全集ではまとめられることも多い。

太宰治は1909年に生まれた。なので、横光とは、一世代違う。川端とはあれほど揉めた太宰だけれども、横光とはねじれの関係だったのだろうか。

大岡昇平も1909年に生まれ、小林秀雄グループに接近する。

伊藤整は1905年生まれ。片岡鉄兵は1894年生まれ。

プロ文の代表者、徳永直は1899年生まれ。葉山嘉樹は1894年生まれ。小林多喜二は1903年生まれ。中野重治は1902年生まれ。

小林秀雄は1902年生まれ。林房雄は1903年生まれ。

島木健作は1903年生まれ。中原中也は1907年生まれ。青山二郎は1901年生まれ。宇野千代は1897年生まれ。

三好達治は1900年生まれ。富永太郎は1901年生まれ。堀辰雄は1904年生まれ。

永井龍男は1904年生まれ。瀧井孝作は1894年生まれ。梶井基次郎は1901年生まれ。

プロ文に行った人、モダニズム系だった人、私小説系だった人。

ちなみに白洲次郎は1902年生まれ。

このように大正末期から昭和初年度の文壇を取り巻く状況は、錯綜したものだった。

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