【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 1

工事現場の足場が崩れる鈍い崩落音と地響きで目が覚めた。窓の外をみると多くの人が途方に暮れている。そのなかを慌ただしく走る責任者。ニヤニヤしている作業員、まごまごしている年配の作業員。崩れた足場の鉄骨が乱暴に積み込まれるときにぶつかって発する甲高い音が不快だった。

警察車両がやってきたことは近づくサイレンの音でわかる。朝方冷えたのでエアコンを消したが日中になってふたたび気温があがり湿気がひどい。飲みかけの茶渋汚れにまみれたマグカップに水道水を注いで一気に飲み干した。

どこからか魚の腐ったようなにおいがする。ああ今日は燃えるゴミの日だった。月曜日まで生ごみが腐るにまかせてどこかに放置しておかねばならないのか。ビニール袋を二重にして口をしっかりと結び出来る限り涼しい場所に置くことにした。

地元で同窓会があるという。呼ばれていないが敢えて行ってみるのもいいだろう。行って何があるわけでもないが、退屈しのぎにはなるかもしれない。次の書き物のネタを探しにいくというのも一興だ。呼ばれないのも当然だ、引っ越しも多く、その都度手紙も出さないから、私の住所を地元の連中は知らない。

過去の同級生たちの実名検索をすると何かの拍子でヒットする奴がいる。生徒会長だった同級生の置傘くんは胡散臭い食品会社の社長に就任し、効果も定かではない商品を熱心にアピールする姿が悩ましい。置傘くんは弁がたち、背も高くバスケ部のエースだった。唯一の欠点は『スラムダンク』に出てくるキャラクターの誰にも似てないことだった。要するにイケメンではなかったということである。そんな置傘くんは顔が広く多くの同級生とつながっていた。

彼の友達を手繰っていくと懐かしい連中の顔があった。売れないミュージシャンの日野春は、震災のボランティアを契機に、無料の復興コンサートを行い続け、とうとう移住し、代議士になる道を開いた。当選したわけではないようだが、昔よりも生き生きしている。

日野春は小さいころからの友人だった。高校三年間、野球部に在籍していたが一度も試合に出たことがなかった。しかし、最後の夏の地区予選に、大差がついて負けていたら出場させてくれるという条件だからと嬉々として私たちをスタンドに招待した。

果たして10対0の大差負け試合でラストイニングを迎えた。レフトに日野春は走っていく。心なしか腰が高い。私たちは高校三年間の集大成であるレフトでの守備に期待を寄せた。どうせ負けだから盛大にやってやれ、私たちもやけくそになってレフトスタンドから応援した。

遠めなのでよくわからなかったがピッチャーはインコースにストレートを投げた。右打ちのバッターが思いきり引っぱり三遊間を白球が抜けた。日野春のファーストボールだと私たちは視線を手前に移した。すでにランナーは、ファースト手前まで到達しており、日野春はただボールをキャッチしてセカンドに投げるだけでよかった。

どうにも日野春の動き出しが遅い。よろよろと走る。「おい、アレ大丈夫か?」と隣で見ていたカエルくんに問いかけた。「あいつ、トンネルしやがった!」と私の方を見ずにカエルくんは叫んだ。

日野春のSNSのコメント欄には喜びの声があふれていた。そのなかには中学時代のアイドルである榊原さんもいた。苗字が変わっていないのは、旧姓でSNSをしているからなのか、それとも結婚せぬまま地元で生活しているからなのか。

SNSのコメント欄には、小規模な同窓会のプランをめぐり、活発な投稿が見られた。具体的な日時までが書きこまれた。公的なメディアなのに大丈夫か?

キャリーケースに荷物を入れ出発する準備をした。驚かすことになるのだろうか、歓迎されないのだろうか、どっちでもいい。暇つぶしだからだ。ここにいて日々をただ浪費するよりはましだ。話でも聞きに行こう。

警察官が現場検証に来ていた。若い作業員は相変わらずニヤニヤしていた。他の作業員が事情聴取に応じたり、散らかったものを片づけたりしている中、ただニヤニヤし続けていた。年配の作業員たちは若い作業員に目を向ける暇もなく右往左往していた。視野にも入っていない。彼は実在の人物なのか?気にせず私はバス停に向かった。

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