勇敢さについて 〜ある社の人間模様15〜

シン・タツタのことを書きながら、有能なのに、なぜ信用できないのかなあと考え、その理由を「勇敢さ」の欠如とした。

では「勇敢さ」とは何か。

前線にむやみやたらに突っ込んでいくことではないことは確かだ。それは「勇敢さ」ではなくて「蛮勇」。考えなく、ハイリスクで突っ込む。これは違う。

計算高い狡知があればいいのかというと、それも違う。石橋を叩いて渡らない、石橋を誰かに渡らせる、というのも勇敢さに欠ける行為だと思う。

飯山は、「石橋を叩いて渡らない」タイプだ。シン・タツタは「石橋を誰かに渡らせる」タイプだ。

そして、この「石橋を誰かに渡らせる」タイプには、いくつかのサブカテゴリがありそうだ。

先年、定年したマスオさんのことを思い出す。

マスオさんは極度に臆病なくせに、立候補したがる。でも臆病なので、「副〜」に常に立候補するのだ。立候補しなきゃいいのに、と思うが、点数を稼ぎたいのか、プライドを満足させたいのか「副〜」には、エントリする。

マスオさんはまた、誰かに何かをやらせたい時に、直接その誰かに話をせず、上司を経由して言わせる。それ、上司を経由する必要ある?と思うことも上司を経由するし、直接言ったら揉めるだろうなと思うことも上司を経由する。

また、マスオさんは、ある程度中間的に決まったことに不服な時、上司に申し出て、上司からその決定を覆させる。何度もそれで煮湯を飲まされてきた。朝令暮改というが、その場で意見を述べず、後出しで上司から反対させる。

マスオさんは、自分のプライドを満たしつつ、矢面に立たず、後出しして、「ほらこうなると思った」って言う。

だから、マスオさんよりはシン・タツタの方がまだマシなのだ。

マスオさんは、自分が臆病で無能である、ということを自分で認めようとしないので一番タチが悪かった。自分を勇敢で有能であると思いたがっていた。けれど、結論としては臆病で無能であるだけでなく、卑怯で姑息な人だった。

シン・タツタは、自分の臆病さや限界はわかっている。自分はこれをやりたくない、なぜなら気持ちが悪いし、得意でもない、言われればイヤイヤやるけど、あなたの方が得意じゃない、だから代わりにやって!すごーい!という論理構成はする。臆病であることを認めつつ、籠絡してやらせる、言わせる。風間くんは、気持ち良くなる。シン・タツタも嫌なことをやらずに済む。ギブ&テイクが成立する。

だから、マスオさんのことは、未熟者は信頼できず軽蔑していたが、シン・タツタは信頼はできないが認めることはできる。ただ、「勇敢」ではない。

勇敢さとは何だろうか。

『masterキートン』の中の「白い女神」のエピソードで、

「あなた、随分、優秀になったわ。少なくとも、私の見た中では、一番優秀な男よ。」「ありがとう。でも君は、私以上に男らしい。」「それが、いい女ってものよ。」

同級生のアンナと最後に交わす言葉が印象的だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?