【第2稿】ウィトゲンシュタインの助言 4

「どうしたんだよ、改まって。コロナのせいで飲みにいくこともできなかったんだから、ゆっくりやろうぜ。」短い髪を撫でながら、照本は言う。そういえば昔から野球部らしい坊主頭だったっけな。肉付きのいい身体は昔のままだ。趣味は筋トレだろう。

「飲み会のやり方なんて、すっかり忘れちゃったな。コロナのせいでみんな家にこもってただろ、職場でも飲み会は控えてたしさ、本当に久しぶりなんだよ、飲み会自体が。」地方公務員の鬼頭は、しみじみと言った。随分と身長が伸びて、腹回りも改善されている。それでも、体形はオジサンだ。昔から、オジサンのようだった。それで、どうして、周りに異性が集まって来るのだろう。

「コロナ禍の前には、ちょくちょくこのメンバーで集まっていたのか?」

「そんなこともないよ。SNSで生存確認して、LINEで繋がって、時々コメントしあって、小室なんて本当に中学ぶりじゃない?」と鬼頭は小室さんをみた。ベリーショートの髪型は昔のままだ。そして、顔が小さい。フラッパーなスタイルが似合うだろう。

「ほんとそうね。そもそも、このメンバーとあたし当時はそんなに仲良くなかったし。」小室さんは、ビールのジョッキに華奢な手を伸ばし、豪快に持ち上げて半分ほど一気に飲み干した。中学の頃の彼女のイメージとは異なり、美味しそうに酒を飲む。

「じゃあなんで来たんだよ。」ぶっきらぼうに鬼頭は言う。鬼頭と小室さんは、同じ小学校で、昔から気の置けない仲間だったはずだ。

「やっぱり怖いものみたさっていうか?弘海もいるっていうし、それならと思って。」弘海と呼ぶニュアンスが、中学時代の二人の親密さを彷彿とさせる。小室さんが、この地域から出て行かないのもわかる。彼女は大地主の一族だからだ。それはそれで鬱屈するものもあるだろう。しかも、昔の親友が同級生と結婚して、地元に残っているのだから。

「榊原さんは、最終的に照本と結婚したんだと思ってた。」お世辞のつもりだったが、言った後に少し後悔した。顔にでなければいいが。

「そうなんだよ。もともと俺榊原さんのこと好きだったじゃない。でも、高校違うところ行っちゃったし、もともと学区も違うから家遠いじゃない。だから特に接点なくて。で、いつのまにか結婚したみたいな噂を越門から聞いて。で、自分にもいろいろあって、SNSに登録して、何の気なしに検索したら、旧姓で引っかかったんだよ。どうしてるのかなってメッセージ出したら、離婚したって聞いて。チャンスと思ってアタックしたけど、この有様だよ。」

照本は思ったよりも、あっけらかんと言った。粗暴な男だと中学時代は思っていたが、思ったよりも配慮ある話し方をした。もっと、プライドが高く、自分の失態を人に見せられない男だと思っていた。そうではない。もちろん、恋心が今でも照本にはあるのだ。あるからこそ、相手がそれを気遣わないように、本心をうまく自分で茶化しながら隠すようなふるまいになっている。歳月は照本にどんな心境の変化を与えたのか。

照本の赤裸々さに、榊原さんは薄い笑いを浮かべながら聞いている。皆、榊原さんを中学生のときに「かわいい」と言って評価していたが、私は彼女のこの薄い笑いが苦手だった。ニタニタという音が聞こえる笑いだ。

「照本の気持ちはずっと前から知っていて、それはそれでありがたく思っていたけど、高校が違うとそんなことも忘れちゃって、看護学校に行って、働いて、結婚して、夫と時間が合わなくて、子どももできなかったから向こうの親と揉めて、なんやかやで30代後半かな、別れて。で、SNSで照本と再会して話し込んだけど、あたしも若くないし、結婚っていっても面倒なだけだしね。」

榊原さんと同じクラスになったのは一回だけだ。ポヤンとした見た目からは連想できない発言も多く、ニタニタと笑う姿をどうして同級生たちは称賛できたのだろう。発言もシャープで、人の急所を正確についてくるタイプの人だった。愛想のようなものはなかったように記憶する。

「それでも、照本は榊原さんが初恋の人なんだから。」と、小室さん。容赦なく追い打ちをかける。楽しんでいるのだろうか。

「やだー、キモい。」例のニタニタ笑いを浮かべながら榊原さんは言うが、心の中はいかばかりか。逆に、照本がキレやしないかと、やきもきしたほどだ。

「別に俺だって、その後色々あったから、中学生のときの純な気持ちなわけではないよ。ただ、なんとなく好きだっていう気持ちはあって、伝えないと後悔すると思って、伝え続けてるんだけど、一向になびいてくれないんだよ。」恨みがましくも、恥ずかしさのようなものもなく、あっさりと照本は言う。

照本らしくない。本当にこれは、あの照本なのだろうか。恰好ばかりつけて、強がって、舐められることを極度に嫌った、あの照本なのか。

「50前の男女なんだから、恋愛とか結婚とか、あんまり気にしないで、試しにセックスでもなんでもしてみればいいじゃない。意外と相性いいかもよ。」ヘラヘラと鬼頭が口にした。

「ちょっと!それはないよ!鬼頭、言っていいことと悪いことがある!」

志村さんが強く否定した。この関係も変わっていない。鬼頭が調子に乗ったことをいうと、志村さんがすかさず突っ込む。息はぴったりだ。35年経っても、その息の合い方は変わらぬままなのだろうか。私たちは、成長していると思いながら、同じ場所に留まったままなのだろうか。わからない。

「独身の男女が合意の上なんだから、セックスしちゃいけないっていうわけじゃないけど、安易にそんな風にいうのどうなのかな。逆に、意識させ過ぎてうまくいくかもしれないものも、うまくいかなくなっちゃう。」志村さんは、少しだけ天然パーマの長い髪を後ろでまとめて、真面目に語る。

志村さんは昔からまっすぐな人だった。まっすぐに、正論を言う。こちらが気恥ずかしくなるくらいのド正論をぶつける人だった。そして、彼女のド正論は、こちらを疚しくさせた。志村さんと話していると、とにかく自分が薄汚いもののように感じる。だからといって、彼女に変わってほしい、汚れを理解してほしいとも思わなかった。志村さんのままだった。

「あたしも、まあ、そこまで言うならと思わないこともないけど、照本さ、あんた変なところに出入りして性病とか持ってない?あと、前の夫と一緒になった時思ったんだけど、アタシ結構潔癖みたいなんで、AVみたいなプレイは嫌だからね。あんた、そう言うの強要しそうで。」榊原さんはやっぱり、シャープにものを言う。

「そんなことはないと思うけど」と自信なげに言う照本に被せて「わかる!正常位っていうと、変にM字を強要してくる男いない?あれ、股関節痛くて、醒めるんだよね。」と小室さんは言った。この人も相変わらず赤裸々だ。

「最近ちょっと股のところが妙に痒くて、変なかさぶたみたいなのが広がって、色変わってるんだよね。」

照本。本当にお前は照本か?そんなに自分の弱いところを晒すことのできる男だったか?そんなこと公にしたら、できるものもできなくなっちゃうんだぞ。

「そんなことを言わなくても…」と志村さん。

「隠し事で、事態がこじれるのは嫌なんだ。それなら本当のことを伝えて、何も始まらない方がマシだよ。」照本、本当にお前は照本か。

「それ、インキンタムシだと思うから塗り薬を定期的に塗った方がいいよ。」

「やだー、照本、絶対やだー。」榊原さんのニヤニヤが消えた。

「弘海くんのところは、夫婦で蕎麦屋なんて、洒落てるじゃない。こっちについて、店、通りかかったよ。」私は話の向きを変えた。

「コロナのせいですっかり客足が落ちちゃって、テイクアウトもやってるんだけど、もう夫婦でカリカリしちゃって。今日だって、一緒にくる?っていったら、絶対行かない!だって。」弘海くんは、寂しそうに言った。行かないのは、小室さんがいると知っているからなのかもしれない。

「家に置いて来て、大丈夫なのか?中学んときのことだから、もうそんなこと気にしてないと思うけど、小室さんもいるんだぞ。そのこと言ったの?」と鬼頭。黙っていればいいのに、問題を表に出したがる。黙っていれば意識もしないのに。

「うーん、小室さんのことは言ってない。照本と鬼頭がいるってことだけ。ずいぶん変なメンバーね。あなた仲そんなに良かったっけ?って聞かれた。」弘海くんは申し訳なさそうに言った。彼にも若干の疚しさがあるのかもしれない。それだけ今は夫婦の間に距離があるってことなのか。

「いやあ、まあ確かに、人と飲み会もできないってなると、確かに誰とでもいいから飲み会したくはなるよな。」照本は、誰にともなく言う。

「誰とでもって、どういうことよ」と、大室さんが絡んでいく。

「で、ナカさんはどうして、こんな前々夜祭に参加しようと思ったわけ?明後日の本番に来ればいいじゃない。なんなら明日の前夜祭でもいいわけだし。明日は、日野春も来るよ。」弘海くんは話題を変えた。

「実はさ、特に理由はないんだけど、35年という歳月のあと中学の同級生と会って話すって、どんな気持ちになるのかなと思ってさ。そして、みんなが35年間にどんな人生を送っていたのかを猛烈に知りたい。」

「どんな気持ちになった?」一斉に聞かれた。

「実際、みんなと特別仲良かったわけじゃなかったし、照本とは喧嘩もしてる。覚えてる?理科の授業のときに先生がいるのに、クラス中が騒いでいて、受験勉強してるこっちにとっては騒音だったから、うるせえよ!おめえ!って。そしたら照本は、生徒会やってるからって調子に乗ってんじゃねえよ!って言ってきて、掴み合い。生徒会なんてやりたくてやったわけじゃないのに、こっちがなりたいと思ってなったと思ってる奴がいるのかよ!と、あの時はカッとなった。でも、率直に話ができるっていうのは、素晴らしい。」

「覚えてない。」と照本。

「会う前は確かに不安だった。忘れられているかもしれない。変わったことを指摘されるかもしれない。それでも実際会ってみると懐かしい。小室さんなんか、中学のとき、数回しか話したことなかったし。覚えてる?中3の時だったか、放課後たまたま小室さんの4組を通りかかったとき、小室さんと誰か別の男子がいて、その男子が「こいつヤリマンなんだよ〜」って小室さんを指して言ってきて、すかさず小室さんは「ヤリマンじゃねえよ!」ってドスのきいた声でそいつに言ったあと、僕に「ウフフごめんね」って、笑顔で言われたのを覚えてる。その笑顔は、とってもいい笑顔だった。心に焼き付いている。」

「覚えてないよ、そんなの。よくそんな細かいこと覚えてるね。」と、少し照れたように小室さんは答える。

「というわけで、みんなの35年間を聞かせてほしいんだ。今ならきっと虚栄も衒いもなく、みんなと率直に話すことができる。僕に欠けているのは、その率直さなんだ。」

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