「『人間らしさ』の構造 渡部昇一」を読み直して
渡部昇一さんには、本当にいろいろなことを教えてもらった。
渡部さんにハマっていったのはちょうど結婚して子供を授かったころからだと思う。
前後十年以上は、全てのリアルタイム著作と過去の著作を読み通していた。谷沢永一さんとも仲が良く、共著が多かったので、谷沢さんのものも合わせて月に10冊以上お二人の本を読んでいたと思う。書棚の一つはお二人の本で一杯で溢れていて、床がしなっている感じだ。
今回読み直した「『人間らしさ』の構造」は、要は、内発的動機で人生を生きよ、というもので、
改めて還暦と言う第二の人生の初めに読んでみて勇気づけられる自分を再発見した。
昭和52(1977)年の著作で、当時と比べ、今は女性の社会進出が当然のようになってきて、少し違和感を持つ方もいるのではないか、と思うが、少子化の窮まった今、もう一度換骨奪胎してこの本の本質を理解することは無駄ではないと思う。
男女とも今は、お金に対する価値を高く置きすぎている
という時代であることは間違いなく、むしろそうではなく、自分の内なる声を聞いてそれに従って生きていく価値の高さをもう一度皆が再確認することが非常に大切なのではないか、と思う。
やはり、素直な気持ちを自身の内面に問い直してみれば、
人間は子供を持ち、育てていくという生きがいを強く持っていると思う。
赤ちゃんから、すこしづつ育っていく我が子を毎日見て一生懸命に生きるというのは、やはり何にも代えがたい生きがいなのではないか。
そして、渡部さんは言う。
生きがいとは
仕事や趣味、子育てなどに関わらず、
小恍惚を感じることを追求することだと。
今、金という「外の価値観」に左右され過ぎている時代だけれど、そうではない「内なる価値観」に立ち戻って生きがいを追求していくことが、
やはり、一生を通して過ごしてみた時、最も仕合せなことなのではあるまいか、と思わせられた。
皆が金、金といっているときに、
そういう外からくる価値観ではなく、
内なる声に耳を澄まして、その声に従って、
小恍惚をえるという生き方の方に、
結果的に、金銭的にも恵まれる可能性があるような気もするのである。
人生というのはそういうパラドクスに満ちているもの。