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「今村大将と昭和天皇」/西郷さんから乃木さん、乃木さんから昭和天皇そして今村さん

これまで、西郷さんと乃木さん、さらに今村さんを結ぶ今村さんの岳父千田登文翁、そして乃木さんと昭和天皇という人間の絆のようなものについて記事にしてきました。
それぞれ以下になっています。

明治天皇ー西郷隆盛ー乃木希典ー千田登文ー今村均そして昭和天皇

この西郷隆盛、乃木希典、千田登文、今村均そして昭和天皇という5人の人物については、西郷さん、乃木さんが明治天皇とのつながりを含め日本の近代史の中で結ばれる線というものは、私にとって非常に興味深いものがあります。

そこで、これまで記事にしていない、今村均大将と昭和天皇の接点をについて、今回触れておきたいと思います。

『昭和天皇実録』から、今村均との接点

『昭和天皇実録』から今村均を索引からひきますと、

1)昭和十一年四月 関東軍参謀副長(少将)
2・26事件後陸軍の師団長・軍司令官会議に関東軍から派遣(参謀副長の任)され、謁を賜る。
2)昭和十二年四月 関東軍参謀副長
陸軍の師団長・軍司令官会議に関東軍から派遣(参謀副長の任)され、謁を賜る。
3)昭和十三年十一月 第五師団長(中将)
第五師団長に任命され、昭和天皇より親補される。
4)昭和十五年四月 教育総監部本部長
第五師団長として南寧の大激戦を勝利し、嘉尚の言葉を賜る。
5)昭和十六年六月 第二十三軍司令官
第二十三軍司令官に任命され、昭和天皇より親補される。
6)昭和十六年六月 第二十三軍司令官
第二十三軍司令官として、昭和天皇より勅語を賜る。
7)昭和十七年十一月 第八方面軍司令官
前第十六軍司令官としての軍状の奏上を行い、第八方面軍司令官として親補され、勅語を賜る。
8)昭和十八年一月 第八方面軍司令官
昭和天皇より、山本五十六連合艦隊司令長官とともに南西太平洋方面の闘いに対する嘉尚と、激励の勅語を賜る。
9)昭和十八年一月 第八方面軍司令官
上記勅語に対する奉答を送信し、杉山参謀総長より昭和天皇に奏上される。

以上の九項目が『昭和天皇実録』には記載されている。

「今村均回顧録」からの接点

「今村均回顧録」中に記載されている昭和天皇との接点は、以上の九つのうち、5)、6)、7)と8)に関するものだけだと私は記憶しています。

さらに、『昭和天皇実録』中に記載されていませんが、「今村均回顧録」中には昭和天皇との接点として、昭和天皇が即位前、当時皇太子として英国に外遊されたとき、英国大使館で英大使館付け武官補佐官の今村均大尉(当時)と遭遇していることが記載されています。

なお、明治天皇との接点は、「今村均回顧録」中に、
1)明治三十七年十一月か明治三十八年一月
明治天皇青山練兵場でも観兵式の帰路、群衆の中から押し出され玉顔を拝す。
2)明治四十年六月
陸軍士官学校卒業式に明治天皇が参列されたとき。
と記載されています。


今回は、コメントぬきで各資料中から明治天皇、昭和天皇と今村大将との接点を抽出して記事としました。


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