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「令和五年元旦産経新聞正論 『日本の覚醒と令和の栄光の実現』新保祐司氏」 高い精神性こそ日本の本質であり、そして活力に満ちた日本を!

令和五年元旦産経新聞正論 『日本の覚醒と令和の栄光の実現』新保祐司氏」について、ご一読をお願いしたいと思い、ここに記します。
少し抽象的ですが、合わせて私見を記しておきます。

「日本の覚醒と令和の栄光の実現」

1)戦後なるものの終焉
2)記憶される思想家橋川文三
3)「精神の義」から生まれる詩
以上の三節からなる「正論」なのですが、1)は、もちろん占領米軍により作られ、敗戦利得日本人により強化された戦後の戦前全否定自虐史観に染まった戦後なるもののがようやく終わろうとしていること、2)はその戦後しばらく主流となった丸山眞男なるものに代表される思潮ではなく、その時代に明治について時代を超えた評価をした思想家橋川文三について、語っています。
そういう前置きをして、
3)において、戦後昭和の経済発展は、もし今現在日本がかつての経済的繁栄が失われることに由来して未来へ悲観しているのなら、それは栄光などでは決してなく、ノスタルジーに過ぎないと言い切り、
かつての橋川文三が捉えた「明治の栄光」は「精神の偉大さ」にあるのだとし、乃木大将を明治の栄光と偉大さを表す人物として特に挙げた上で結論としています。

日本の高い精神性

新保氏の「正論」にはいつも人をして襟を正させるものがありますが、元旦の正論にも一層そういう要素が感じられました。
まさに、日本は高い精神性を有する国なのであると思います。
私は、その象徴として乃木さんを挙げていることに全き同意をしたいと思います。

我々が失ってはならないものが、経済のようなちっぽけなものであるとすればそれは我々自身のちっぽけさを象徴している、と言えるのだと思います。
私は、そこまでの覚悟をもった上で日本の再生、日本経済の再生へ取り組むべきものとの思いをこの正論を読み、改めて思いました。

日本人には、その高い精神性こそふさわしいものだと思うからです。

明治から昭和に続く精神性

ここで多くを述べる紙幅はありませんが、明治から昭和に続く精神性という意味で一つの挿話を挙げておきたいと思います。
昭和天皇は戦後の会見で、最も影響を受けた人物は乃木大将だと明言していらっしゃいます。
明治天皇が軍人乃木さんに学習院院長をお命じになり後の昭和天皇である皇孫の教育をお任せになられたことは有名です。
乃木さんは全力を尽くして皇孫(昭和天皇)はもとより学習院生徒の教育に邁進します。それは日本のこころを伝えていく伝道とも言える教育だったと言われています。
そして、明治天皇が崩御し、大喪が行われたとき、乃木さんは十一歳の昭和天皇のもとを訪れ、胸に迫る煎じ詰めたものを最後にお伝えして、自宅に帰り殉死するのです。

昭和天皇が最も影響を受けたという乃木さんから受け取ったものが、あの、第二次大戦終結時の御前会議における歴史的聖断を形作ったと考えるのは恐れ多いことですが間違っていないはずです。

迫水書記官長(今の官房長官)が詳細に語り残してくれているように(下記書籍を参考に挙げます)、あの御前会議の歴史的プロセスが、日本人の精神的側面から戦後日本の大発展の基を成していると言うのは飛躍ではありません。

それは、御前会議に関する深い宗教的考察である長谷川三千子渾身の名作「神やぶれたまはず」にも明瞭に顕れています。

この昭和天皇と乃木大将の関わりからわかるように、私たちは今も、やはり明治の高貴な精神にその基盤を負っているのです。

一方で高尚になり過ぎてはいけない、何より大事な活力

一方で私が強く思うのは、高い精神性ばかりを求めて高尚になり過ぎてはいけないということです。
高い精神性を求めるけれども、同時に地べたを這いまわってやらなきゃいけないことはやる、失敗も恐れない、何よりユーモアを忘れないというような人間くさいものが無くてはならないと思います。
それは、人間である限り、人間が実践するものである限り、一見両極に属するようなものを両方ながら哲学の言葉でいう「止揚する」ということが必要不可欠のことだと思うからです。
そのことにより何より最大限の活力が得られるからです。
活力のない人間活動は衰亡への道を免れることができません。

日本らしく、日本人らしく、力強く生き抜いていく

これからの日本を考えた時、明治から昭和へと紡がれた高い精神性を令和に時代に再生させること、そして、日本らしく、日本人らしく、力強く生き抜いていく、ということがやはり最も大事なことだと思います。
そのための方法論を是非とも考えていかなければなりません。


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