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「定年後は、新しい友人関係の構築だけでなく旧い友人関係の再構築も行われます」/同窓飲み会が立て続いて、、、

大学同級生、高校同級生の同窓飲み会が続いて

2月下旬、3月上旬と、大学の同級生、高校の同級生と同窓の飲み会が続きました。
大学の同級生は、数年を置かず続けて来ていたのでさほど大きな久しぶり感はなくもちろん懐かしさはいつも感じるのですが定点観測のような感じでした。ただ、今度の高校の同級生の飲み会は、40年以上ぶり友人たちとの飲み会で失礼ながら覚えていない友人もいてどうなることかとも思いながらの出席でした。

高校同窓飲み会:生徒会・文化祭委員の同窓会

今度の高校の同級生の飲み会は、生徒会・文化祭委員合同の同窓会で実に17人もの人数のものでした。もちろん中には同じクラスで卒業後何回も同窓会で会っていた友人もいる中で正直思い出せない人もいたのですが、飲み会を進めるうちに記憶のどこかに仕舞っていたものが甦って来てほとんどの人たちは40年以上前の記憶と結びつけることが出来ました。

友人関係の再構築

これは大学時代の友人の場合もそうですが、かつて色濃く交わっていたころに比べると過ごしている環境も考え方も異なってくる部分があります。実際サラリーマンに限らず生活が懸かっていれば過ごしている会社なり取引先なりの人間関係の中でどっぷりとつかって生きざるを得ないわけでその限りにおいてはそれでいいわけです。
ただ、会社を定年したり転職をしたりしてそのコミュニティーを離れるという、ある意味人生の区切りのタイミングになると、一人の人間としてのアイデンティティの再確認を求められるということにもなるわけです。

私などは、定年後2年そこそこになりますが再雇用という形で同じ会社の同じ職場で仕事が続いているという意味では、あまりそういうことを気にせずに来れた面があります。
しかし、3年足らずでその仕事そのものは終わりを告げ、否応なく異なる環境に身を置かざるを得なくなります。
ただ、そういう意味では、変わらないものとして家族、特に妻の存在は非常に大きい。週末は毎週妻と散歩に出掛けますし、買い物にも行く、話も子供たちのことを話せば尽きるものはない、これは本当に有難いという意味では有難い。

友人関係の再構築はある種、精神の再構築

そういう状況の中で、一人の人間としてはやはり普遍性の部分がひとつは必要なモノとして有るでしょう。
また一方で、郷に入っては郷に従え、ということも非常に大事なことです。
まあ、新しい環境あるいは旧い友人たちとの人間関係に入って行くと、それはそれでそれに応じてココロの揺らぎみたいなものがやはり出てきます。

しかし、根の部分が変わるわけでもなくまた変えることもできない。ただ、その表層の世俗部分は変わらなければスムーズにモノゴトがはかどっていかないし会話も上手くいかない。そんな感じにもなるでしょう。
しかし一面でそれは、これまでも仕事を続けながら常に変わる環境で対応してきたと同様のことと観ることも出来るものです。

そういう感じを、近々で大学の同級生、高校の同級生との同窓会で持ったことでした。

そういうときというのは、モノゴトを深い部分で考えることが必要なトキでもあります。それに気づいたのは、いつも通勤で読書をしているのですが今手に取っているのが仕事で散々忙しくまた悩みもしたころに繰り返し繰り返し何十回となく読んだ本を読んでいて、その内容が心に沁み込んでくるように感じたからです。

その本は、本ブログのマガジンにもなっていますが、

https://amzn.to/4a7IeCi

(今村均回顧録・続)

です。本当に今村大将は、その人生において深い思索を繰り返し人間を形成していったものだと思います。

私も還暦を過ぎましたので、これから普通に考えて20年ほどどういう環境を作りその環境の中でどううやっていくのか、もちろんやり残すことが無いようによく考えながら、ある種精神の再構築をしながらしなやかにやっていきたいと思っています。





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