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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ10」/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その2 定年講演

前編/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その1で述べましたように、40代初めまでは主に新規事業のための技術開発に取り組んできました。

40代の半ば以降、10年くらいにわたっては、既存事業部の先行技術開発

それまで私の会社では、本社研究開発の材料開発部門が既存事業部の先行技術開発を手掛けることはほとんどありませんでした。
というのは、それまでの事業部はある意味独立採算で技術開発も自前でやっていたという事情がありました。
そういう意味で、本社部門との協業というのが全面的に実施される時期に当たっていたということなのかもしれません。

材料開発を解析的に進めることとその限界 と クリエイティビティ 

よく材料開発を進めるとき、そのカンコツ経験による研究開発のやり方を嫌って、解析的なアプローチを、ということが近年特に声高に言われるようになりました。
それは、MIやそれの基となるAIを使って効率的に材料開発を実施するという考え方と同じ文脈です。
確かに、下手な技術者にやらせると何をやっているかわからなくなることもあり、そういうことを回避する意味で、解析的アプローチをとることの意味は大きいと言えます。
そういう意味で、この考え方そのものは間違っておらず、正しいと言ってよいと思います。

私が、既存事業部の先行技術開発に長年携わってみてわかったのは、事業部は少なくとも3-5年先のある程度先行きの見える技術テーマに関しては、自分たちで十分やれるし、自分たちがやって方が本社部門にやってもらうよりはるかに早く実現できると考えています。
これは事実その通りと思います。

そして、本社技術開発部門が本来やるべきは、3年や5年では実現できるとは思えない難しい技術課題か、或いはそれに似てますが10年先の事業を見込んだ技術開発です。
まあ、ですので私の40代後半から10年はそういう難しい技術開発に取り組んでいたわけです。

そのような難しい技術開発課題に取り組む場合、やはり重要なことは、とことん取り組む技術に対して深く掘り下げ、合わせて他の分野の技術をヒントに新しい発想を得て、それをまとめ上げる力量です。
そのときに必要なものが、先の本コラムで述べた、素直な美しい日本のまごころの中にこそ存在するクリエイティビティの核心なのです。それは発想の大きな飛躍を伴うものです。解析的なアプローチでは論理的に導くことのできない飛躍です。本当に大きな飛躍を伴ったそのような発想構築が必要不可欠となります。
ましてやMIやAIで効率的に出来ることではありません。

私自身、この40代後半から50代はじめにかけて取り組んだ技術開発でそのような経験をしております。
そしてその技術が、現実に製品開発を経て事業となったわけなので、若い頃から培ってきたそういう技術開発の考え方の意義を立証できたのだと思っています。

そういう技術開発の考え方よりも、もっと重要なことは体を張ること

しかし、そういう考え方だけでなく、というより、もっと重要なことが有ります。
以上述べてきたような技術開発というのは、得てして最初上部に認められ難くて、その種の苦労が絶えないものになります。実際、私自身にしたって、本当にそのアイデアがものになるのか、という事業というものまで見通したような確たる自信はさほどないわけですが、しかしそういうときに重要なのが、体を張る、ということです。
実際リーダーのやるべき最も重要なことは、これではないかと思います。

このときもその技術に対する能う限りのこだわりというものが、その体を張る、という行為の裏付けとなってくれます。
もちろん、そのかけに敗れれば、また四面楚歌に晒されるわけではあります。
人生は、研究開発であろうが何であろうが、勝負をかけることなしに何か大きな成果を得るということなどあり得ません。

やるときはやらねばなりません。

そして、そういう覚悟があって初めて周りの信頼を得ることも出来るわけです。
私にとって有難かったのは、このとき体を張った甲斐が有ったということです。幸いにもその後製品開発へ進む過程で、最初の発明の構成がほぼ維持された形で会社の主力事業のメイン機種に搭載されたことです。

それまでにも体を張った経験がありましたが、この時は幸いに美味く事を運ぶことができたわけで、神様は本当に打ち込んでいれば、何回かに一回は微笑んでくれるものではないでしょうか。

以上、
技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティに関する考え方と、仕事を成すうえで重要な体を張る、ということについて、
述べさせていただきました。

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