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「5/16-18 仙台旅行by自家用車」/仙台・石巻・松島・山形 その2/松島再訪の目的

「奥の細道」

平成28(2016)年秋に仙台を妻と訪れたときも芭蕉の「奥の細道」を意識していましたが、
今回も大げさなことを言うようで恐縮ですが「奥の細道」を意識していました。
前回は、塩竃・松島そして山形の立石寺に行きたいと思い、その通りを辿りました。立石寺は、通称「山寺」と呼ばれ芭蕉の時代と違い、JR仙山線で仙台からすぐに行けます。芭蕉の言った新暦7月のニイニイゼミの鳴く頃とは違って秋十月でしたが、趣きは十分に感じることが出来ました。

塩竃・松島は、そのときJR仙石線で松島海岸駅まで行き、そこから松島を眺め、昼食などして後、手前の福浦島にわたって見たくらいでした。もちろん遠景の松島を見て良かったのですが、芭蕉が名文で残した松島には少し物足りない気がしました。

「奥の細道」の[松島]

芭蕉が「奥の細道」で残した名文ですが、以下引用してみます。

 抑々ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥じず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮をたたふ。島々の数尽くして、欹(そばだつ)ものは天を指(ゆびさし)、ふすものは波に匍匐(はらばう)。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負(おえ)るあり、抱(いだけ)るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹(ふき)たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色窅然(えうぜん)として、美人の顔(かんばせ)を粧(よそお)ふ。ちはや振(る)神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ。
 雄島が磯は地つづきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、座禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀稀見え侍りて、落穂・松笠など打けふりたる草の庵閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先ずなつかしく立寄ほどに、月海うつりて、昼のながめ又あらたむ。江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中旅寐するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。

 松島や鶴の身をかれほととぎす    曾良

(岩波文庫 「おくのほそ道」より)

以上が「奥の細道」の[松島]の風光に関する部分の記述です。
いかがでしょうか?本当に名文ですよねえ、、、
ちなみに、芭蕉は松島について俳句を残しておらず、曾良の俳句を掲載しているのみです。

後段は雄島に関する部分ですが、曾良の俳句の部分まで引用しました。ということで前段部分が松島全体を記した分ということになりますが、芭蕉の心の躍動がバシバシと伝わってくる名分だなあ、と思います。

松島海岸から見た松島はこの名文ほど出なかった

前回行った時、松島海岸から見た松島はこの名文までに行っているとは思えませんでした。おそらく芭蕉が塩竃から船で松島海岸に入った航路をとっていないせいなのだろうと思いました。
同じコースは取れないまでも、せめてこの名文を味わえるくらいに松島を眺めてみたいと思っていました。それが今回の旅の一つの目的でもあったわけです。


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