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「私の定年時の再就職活動」結局今の会社で再雇用に落ち着きました。

 私は、昨年令和3年11月今の会社を六十歳定年となりました。そういう意味で現役を去るということでもありました。
 定年するまでの数年は、もう会社は辞めて再就職しようと心に決めていました。まあ、会社ですからいろいろと胸にわだかまることもあり、心機一転やってみるか、という気でおりました。
 
 ただそうは言ってみても、研究開発一筋でやってきた化学屋になにか特別な資格があるわけでもありません。ただ、特許だけは一生懸命取り組んで、日本では300報余り出願し、米国では100報ほど登録特許となっていましたので、会社の中でも多い方で表彰もされたこともあり自信は持っておりました。なので、特許の仕事は出来るだろうと思って、先輩方とも関係を保って情報交換をしておりました。

 実際、特許執筆というのは、一つの作品を仕上げるという感覚があり、楽しいものでもありました。
 ただ私の場合巡り合わせの良くない中、頑張ったという感じではあります。若い書き時に、労組を2年やってみたり、米国の特許に厳しい会社と5年ほど共同開発をべったり取り組みこれはうちの会社の方も特許に厳しいこともありその間ほとんど5年間は特許出願を出来なった時期があったため、数的にはもっと行けて特許のいろんな意味でのテクを蓄えることができたのに、という感じは今もあります。
 そして、だいたい部長を最後の10年くらいはしていて、その間もテーマの具体的技術にまで踏み込むのには限りがあり、34年の開発者生活の中で都合20年近くは特許執筆に制限があったわけで、そこを存分にできていれば日本も米国も特許数は2から3倍くらいは書けていたのではと自負しています。

 そういうことも頭に有ったので、特許関係の再就職先を念頭において定年を迎えたわけです。

 実際に、会社の先輩も結構な人がそういう特許関係の組織に再就職されています。
 個人事務所などへも伝手がある方は再就職されていますが、我々のようなものは、比較的公にやっているようなところが再就職先としては考えの上にあります。

 IPCC(一般財団法人工業所有権協力センター)というところが有ります。

 上記にアクセスしていただければわかりますが、年収や業務の条件なども比較的オープンに書いてあります。
 採用時60歳という年齢制限はありますが、定年後ほぼ一年のうちに決断すればよいわけで全然問題ありませんでした。また、年収も六百万以上であり、やる気があってできればそれ以上も可能ということでしたのでこれもいいかな、と思っていました。
 現実に先輩が勤めてもおりましたので、様子もわかりました。

 他には、同様の仕事で、民間の、AIRIという特許調査機関もあり、こちらも年収的にはさほど変わらないということで、また、年齢制限も65歳ということを聞いております。

 ですので、再就職先が数少ないと言われる研究開発畑の人間でも、特許さえきちっと取り組んで居れば、70歳くらいまではゆうに働ける環境があると言えます。

 
 というつもりでいたのですが、実際は定年後の12月ひとまず会社の再雇用の権利を留保しながら、経験者にヒアリング、相談して歩きました。
 
 結論ですが、収入はもちろん会社の再雇用が低いのですが、最後の十年を部長として精神的には結構なストレスが蓄積して定年時体調が以前より自信のある状態でなくなっていたことと、少しやりたいことをやっておきたいという思いが募り、会社の再雇用でゆっくり過ごしながら、人生の仕上げにかかろうか、という気分になったということです。

 このやりたいことというのは、実は、このnoteでの活動ということになります。こういった形で、所見を公にして世の役に立ちたいということです。
 このnoteを見つけて取り組むのに半年ほどの時間がかかりましたが、まだまだつたないことは承知していますが、皆さんの反応が日々楽しく、少しでも良いものを書き残しておきたいと思って毎日取り組んでいます。
 もちろん、ビジネスにしていきたいという気持ちもあります。

 以上が、ここに至った顛末です。今後ともよろしくお願い申し上げます。



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