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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 (9)会社生活まとめ/定年講演

 ここで短いですが、会社生活、仕事のまとめをさせていただきます。

縁有って、新規な機能材料をの開発ができる、やるというモチベーションをもって化学メーカーから転職、昭和63年(1988年)中途入社しました。

・1988年から1992年中央研究所

あまりに化学メーカーと環境が違い、戸惑ったが、これも縁有って労組執行部(1990年9月~1992年8月二期二年)をやらせてもらい、勉強させてもらい、当時の支部執行部、中央執行部や中央研究所の皆さんと一緒にやれたことが会社での基盤となりました。会社の一員になれたように思いました。この間、学会発表とかは一応しましたが、仕事はあまり大したことはできませんでした。

・1993年から1999年コンポーネント開発

液晶ディスプレイの液晶材料開発に取り組みましたが、会社で何とか仕事をやっていけそうだとの感触を得たことは有難かったのですが、製品にし利益を上げるということの大変さに呆然としました。

・2000年から2006年自分のテーマを実施

液晶ディスプレイのプロジェクトが解散し、中央研究所に戻り、新たなテーマのリサーチから始め、自分のテーマを立ち上げて何とか製品化を目指しましたが、見事失敗し、メンバーや関連部門にもご迷惑をおかけしました。力不足を痛感しました。本当に申し訳ないと思っています。

・2007年から2015年基幹事業部向け機能材料の技術開発

まず第一に、事業部門、生産技術部門と一緒になり開発させていただき、その技術が製品化まで漕ぎ着けましたことは非常に有難いことだった思っています。

次に、これも事業部門の課題に対して、ゼロから新規技術の研究開発に取り組みましたが、一番困ったのは、そのときのトップの人が無茶を言う人で大変困りましたけれども、メンバーと一緒に苦労する中で新しい技術を創出することができました。そして最終的に事業部の主力製品へこの新規技術を搭載することができました。

振り返りまして、この二つの仕事がなければ、本当に価値ゼロだったな、と本当に冷や汗の出る思いです。

この後、さらに大きなプロジェクトを率いてやらせていただきました。皆で苦労して技術的には非常に良い仕事をしたと思うんですが、最終的には残念ながら大団円という形にはならず、残念なまた厳しい仕事でもありました。

この当時のメンバーの多くは、この後、大きな組織変動が有り、事業部やほかの本部に移動し離れる形となりましたが、皆その後活躍されており頼もしく思っています。また希少ですが、出戻ってきてくれてまた一緒に仕事を出来ている方もおり、有難いことだと思っています。

・2016年から2021年定年まで現在のセンターで

皆さんと現役最後の日々を一緒に仕事できたことは本当に幸いでした。特にトップだった人の、それは厳しいマネージメントを一緒に乗り越えたという意味で親密さを感じています。

この間は、テーマに入るというより任せるということが仕事となり、私個人としては技術の中身に取り組みたいという思いはありましたが、人間一人一人はよく見ることができたなあ、と思います。個々の皆さんが優れた力量や見識を持っているのはもちろんですが、何より一緒に仕事をやって気持ちが良かった。本当の意味で重要なことはこういうことなんだなあ、と改めて思いました。ありがとうございます。

ここで挙げ得なかった仕事もあるかと思いますが、老耄で失念しているものなど、大変申し訳ありません。それ等を含めて、この間、関わったすべての方々におかげでここまでやることができました。また、自分自身大変勉強になりました。ありがとうございました。

ただただ感謝しかありません。

(10)へ続く

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