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「乃木大将と今村大将」/そのかかわりを「今村均回顧録」を中心に その6  昭和四十二年七月十四日読売新聞掲載『乃木将軍は無能ではない』で今村大将は司馬遼太郎を批判

昭和四十二年七月十四日読売新聞掲載『乃木将軍は無能ではない』

これまでにも本ブログの記事中で今村大将が司馬遼太郎の乃木大将論を批判していたことは記してきました。
その元は、「昭和四十二年七月十四日読売新聞掲載『乃木将軍は無能ではない』」です。
もちろん、今村さんはその「今村均回顧録」(正・続)で有形無形に乃木さんへの敬仰を語っており、その一部は本マガジン「今村均陸軍大将」の記事中にも記してきています。
ただ、明瞭な形で司馬遼太郎の乃木将軍論を批判しているのは、前掲読売新聞の記事になります。この記事は「続・今村均回顧録」もしくは「続・一軍人六十年の哀歓」(これらは同一ものと思われます。私は後者を所持しておりそこから引用しました)の最後部に掲載されています。

『乃木将軍は無能ではない』の論点

1)旅順要塞攻略戦の苦戦は大本営の準備不足、情報不足に原因している
2)乃木大将は、ドイツ留学の目的も野戦研究であり、要塞戦の専門家ではなく、無能には当たらない。
3)旅順戦で司令部を後方に置いたというのは、伊地知参謀長が決めたことであり言いがかりである。乃木大将は自分の意志で前線巡視を繰り返している。
4)肉弾攻撃による多大な犠牲については、大本営の命令であり主に大本営に責任がある。
5)203高地攻略における砲兵陣地移動についても、児玉大将との協議はあったが乃木大将の発意によるものでないとは言えない。
6)要塞戦の専門家である、のちの上原元帥の、難戦である旅順攻略を成し得たのは乃木大将の衆心一致を得た統率力によるものである、との意の言を引用し、乃木大将の統率力こそが旅順攻略に不可欠であった。

としています。

以上、軍事の、まさに専門家である今村大将が、上記にような論を展開していることこそが、日露戦争旅順要塞攻略戦の乃木大将の手腕、功績を何より物語っている、と考えてよいと私は思います。





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