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「慰霊の夏」/今年も靖国神社に参ります

慰霊の夏がやって来ています。

日本が近代に生き残る上での戦い

今日の日本有るは、明治以来日清、日露、第一大戦、満州事変、シナ事変、大東亜戦を戦い抜いた先人の努力の賜物以外の何物でもありません。
日本の近代は、西力東漸の末に最も厳しい形で東西から西洋の力による圧力をまともに受けざるを得なかった非常に厳しい形であったということです。
その中で、力を力で跳ね返さざるを得ず、その結果としてまさに命を的にした戦争という形の西欧近代の障壁に辛うじて勝利を重ねながら日本という文明を何とか維持してこざるをえなかったのです。
まずそのことに思いを致したいと思います。

その最も究極のものが第二次大戦(大東亜戦)

そして、西欧近代の障壁の最後にやってきた究極のモノが第二次大戦、すなわち大東亜戦です。
そう位置付けるのが歴史的視座というものです。

特に終戦記念日が迫る中で思うのは、大東亜戦後半戦で日本という国を護るため亡国から救うため、太平洋の島々で大陸や南方で英雄的な戦いをし、8/15以降にも占守(千島)や樺太で自衛の闘いに命を捧げた日本軍将兵の雄々しさです。

大東亜戦での日本軍将兵の英雄的戦いの数々

太平洋の島々で大陸や南方で英雄的な戦いをし、8/15以降にも占守(千島)や樺太で自衛の闘いに命を捧げた日本軍将兵です。が、数えればきりがなく限られた紙面で表すことができませんが、
今私が思いつくだけでも、

1)ガダルカナル撤退戦
2)ビアク島の戦い
3)鉄壁ラバウル要塞
4)ペリリュー島の戦い
5)硫黄島の戦い
6)フィリピンにおける海軍の攻防、最初の海軍特攻戦
7)フィリピン攻防戦
8)沖縄戦と九州から特攻攻撃、大和の海上特攻
9)そして終戦の詔勅が下った後、北方において、
  敢然と自衛戦を遂行した北部方面軍の占守隊、樺太部隊

というふうに多数の歴戦が挙げれられてしまうほどです。

戦いの歴史的意味

少なくともここにあげた日本軍将兵の英雄的戦いの数々が無ければ、戦後日本の大発展は有りませんでした。確かにそう言えます。
なぜなら、この英雄的戦いを現に当事者として戦った敵国あるいは周辺諸国は、日本にうかつに手を出せば大変なことになる、との感覚を戦後ずっと持ち続けていました。つまりこのことが戦後日本の最大の軍事抑止力となってきたのです。ですから日本が戦後の平和を享受できたのは、まさに英霊のおかげなのです。
もちろん、日米安保の存在はありましたが、米国が日米同盟を敢えて結び、強化しようとするのは上に挙げた数々の戦いのプロセスを知っているがためであり日本を敵国にすべきでないことが骨身にしみてわかっているという面も濃厚にあるのです。そういうことが日米外交の中で時々顔を出すのを見逃そうとしなければ見ることができます。

そして、戦後の経済発展をけん引したのは、何より英雄的戦いに死した戦友たちを思い、日本の復興に邁進した、英霊と同世代の日本人たちでした。彼らの志こそが戦後日本の大発展を現出させた原動力でした。
敢えて、言上げせず、敗戦の重みに耐えながら復興に責任感を持って取り組んだ世代。今この世代はほとんどが既に鬼籍に入られましたが、彼らの声にも静かに耳を澄ます必要があります。

今年こそ、本当の意味での慰霊の夏を

今年、いままさに慰霊の夏と言われる日々のはずです。

今年こそ、マスメディアが営々と嘘で塗り固めたいわゆる自虐史観なる蒙昧な歴史視点に踊らされることなく、当時を必死で生き、家族を、子孫を思いながら戦場に命を捧げた日本人の声に耳を澄ませることのできる、真の意味での「慰霊の夏」を過ごしたいものです。

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