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「『今村均 敗戦日本の不敗の司令官』PHP新書 岩井秀一郎著」今村さんの生涯を正確に読みやすく纏めてくれています。今村さん導入本としてお薦め

『今村均 敗戦日本の不敗の司令官』PHP新書 岩井秀一郎著 は今村さんんの評伝として優れています

本ブログにマガジン設定している「今村均陸軍大将」に関する評伝の近刊について読んだので紹介します。

最近、今(令和五)年の7月にPHPから出版された、『今村均 敗戦日本の不敗の司令官』PHP新書 岩井秀一郎著 について紹介します。

一気に読みましたが、著者の岩井さんは昭和戦前の陸軍関係の著作を多くものにしており、今村さんが昭和に入り陸軍中央で課長クラスで履歴を進めるあたりからを中心に書かれており、読みごたえがありました。
基本は、「今村均回顧録」をベースに、様々な文献を当たり人間関係、事実ベースで多角的に人間今村均、陸軍大将今村均を正確に活写しています。

今村さんの評伝では、かなり優れた、近年ではピカイチの著作だと思います。

是非、今村さんの事績、人間性を知りたいという方々に一読をお勧めしたいと思います。

ただ一つ、満州事変勃発当時の、いわゆる「朝鮮軍独断越境」問題についての疑問

昭和6(1931)年満州事変勃発その直前に、今村さんは参謀本部作戦課長に就任します。
今村さんは参謀本部の当事者として、すぐさま、その収拾に尽力しますが、
「今村均回顧録」には、次のように記載されています。
まさに勃発当時満洲には関東軍のみであり、混乱を収拾するためには、近在の在朝鮮日本軍の援軍が必要とされる状況でした。今村さんは対処会議で早期収拾を図る考え方とともに、万一の場合在朝鮮日本軍の投入策も考えるべきと進言します。
しかし、ことを急いだ在朝鮮日本軍の司令官林銑十郎が満鮮独断越境をはかりそうになります。
ここで今村課長は、参謀本部長の上奏を何ものかに妨害される中でもなんとかぎりぎりの段階で朝鮮軍越境の許可を得て、林銑十郎将軍の独断越境のそしりを受けしめない処置を得ます。
ですので、「今村均回顧録」では世情言われるような独断越境はない、ということを明言しています。

この件については、戦後の書物は林銑十郎将軍の独断越境ということになっており、それ以外の解釈をしているのはこの「今村均回顧録」以外に、私は寡聞にして知りません。

『今村均 敗戦日本の不敗の司令官』でも林将軍の独断越境としている

そして、この『今村均 敗戦日本の不敗の司令官』でも林将軍の独断越境が起きたとしています(77頁)。

しかし、と思うのです。
今村さんは昭和43(1968)年10月4日に亡くなっていますは、死の直前まではっきりと意識をもっており、その日に乃木神社からの依頼の揮毫(「乃木大将と辻占売り少年」)をしたとされています。そして昭和29(1954)年巣鴨刑務所を出所依頼、暇があればその回顧録を推敲を重ねていたと言われます。
事実、「今村均回顧録」以前に、「今村均回顧録」と内容を同じうする昭和35年までに出版された自由アジア社版の4巻の書物が存在し、私自身所持していますが、「今村均回顧録」で誤字脱字等含む細かい追改訂がされているのを知っています。

ですので、もし、林将軍が本当に独断越境したのであれば、必ず改訂、書き直しをしているはずだと思うのです。

また少なくとも、林銑十郎将軍は、昭和12(1937)年、第33代内閣総理大臣に就任しています。
昭和天皇がもし林将軍が満州事変時独断越境したということを認めていたとすれば、戦前の昭和天皇の事績、慣習から見て許可されないのではないかと私は思うのです。

この点については、岩井秀一郎さんも相当にお調べになっているはずで、私との認識の違いはともかく、今村さん自身の認識との違いについてどう考えておられるのか、については、訊いてみたい気がしています。
私自身も、今後の課題としていきたいと思っています。





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