見出し画像

記録するための絵 担当:五嶋奈津美(イラストレーター)

私は写真を撮るのが苦手だ。
まず撮りたい!という衝動が起きる回数が人より少ない気がする。そして絶望的に撮影センスがない。だから集合写真を私のスマホで撮らなくてはならない時などは戦慄してしまう。それでも言われれば一生懸命撮るのだが、私の写真はいつもアングルがおかしかったり、ぶれていたり、誰か目をつむっていたり、とにかく本当に下手くそなのだ。

そんな私でも自主的に写真を撮りたくなる時がある。近所の散歩道の街路樹、歩道を歩く人の後ろ姿、夕方の高層マンション群など、他の人が見たら、なんでそんなつまらないものを撮っているのだろうと思われそうな瞬間だ。実際、街行く人からそう思われている気がして、小心者の私はさっとスマホを取り出し、構図をよく確認もせず1、2枚パッと撮っている。
そんな風にして写真を撮りながら私の目はいつも、ある瞬間を無意識に探している。
街路樹の、葉の隙間からこぼれる木漏れ日と、それが道路に作る複雑な影の形。
前を歩く人のTシャツにできた光の模様。
夕暮れの強い西日に照らされたビル群の陰影。
日光と自然と人工物の織りなす風景は、それがどんなに見慣れた場所でも、時々本当にドラマチックで美しい、と私は思う。

これは私が描いた公園に続く小径の風景だ。道の先の方に西日が当たっている。いつも鬱蒼として薄暗い場所なのに、そこだけまるでスポットライトが当たったように、木々やアスファルトが輝いている。ああきれいだな、といつものように立ち止まった時、一台の自転車がやってきて、光の中に吸い込まれるように走っていった。光に見惚れていた私には、それがまるで映画のワンシーンに見えた。これは逃せないと慌ててスマホで写真を撮る。自転車の彼はこの瞬間、私の絵の主人公だ。あの場にいた私以外の誰も、そんなこと感じてはいなかっただろう。自転車はあっという間に、木々の間に消えてしまった。

私は街中で偶然見つけたそういう瞬間を、できるだけ自分が見たままに記録したい。それが私が風景画を描く理由だ。
写真に写りきらなかった、空の広さ、日差しの眩しさ、影の中に落ちる光の粒のやさしさを。さらに体全体で感じたひなたの蒸し暑さや日陰のひんやりさや、風の気持ちよさを。
私が使っているアクリルガッシュという絵の具は、何色でも、乾けば上から違う色を塗り直せるのがいいところだ。少しでも色合いが自分のイメージと違うと感じたら、納得がいくまで塗り直す。私は写真はうまく撮れないけれど、絵ならば表すことができると信じて。
そうやって完成した絵を見てくれた誰かが、「いいよね、私もこういう瞬間、好き」と共感してくれたら、これ以上嬉しいことはない。

これからも、私のスマホのカメラロールには、いろんな場所で撮った下手な風景写真が溜まっていくだろう。容量が足りないから不要な画像を消してくださいと言われたら、うっかり真っ先に消してしまいそうになる風景。しかしそれは、私にとって絶対に忘れてしまいたくない、宝石のような記憶の断片なのだ。


【著者紹介】
ゲスト参加させていただいた五嶋奈津美です。
イラストレーターをしています。
風景画を主に描きます。本を読んだり、文章を書くのも好きです。

https://www.natsumigoshima.com/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?