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IBN寮物語—相部屋—

  入寮審査会も終わり、大学の講義が始まって一週間ほどたった4月中旬に、新入寮生の部屋が順次告知されていった。なぜ順次なのかというと、それはIBN寮内の部屋異動の都合から来ている。まず、卒業生や修了生の多くがIBN寮内の一人部屋に3月末まで滞在しているので、その部屋に4月から入る新3-4年生は当然異動できない。4月1日から、順次その空いた一人部屋にその新3-4年生が異動していくが、それなりに荷物があり、自力で行っているので、1週間程度はかかる。この新3-4年生が異動した二人部屋に、新2-3年生が異動する。これも1週間程度はかかってしまう。そして、この新2-3年生が異動した二人部屋に我々新1年生が入っていくので、新入寮生の部屋が決まるのはどうしても4月中旬以降になってしまう。これが入寮初日に部屋が無い、と言われた所以である。
 私の部屋は2階の一室で、2週間ぶりに1階談話室の半地下を脱出することが出来た。部屋は12畳からなっており、奥側と手前側にそれぞれ備え付けのスチール製の机、木製の畳ベッド、及び、旧式のガスファンヒーターがある。これらだけでほとんど3畳×2程度は使用してしまっているため、自由なスペースは3畳×2程度になる。また、この部屋は手前側に開き戸があり、開き戸のスペースは使えないため、手前側の自由なスペースは実質2.5畳程度しかない。むろん、奥側に先輩の私物が置いてあるので、自然と手前側が私のスペースになる。
 IBN寮内では、この二人部屋で暮らす相手の人を「相部屋」と言い、私の相部屋は2年生で法学部の裕紀さんだった。裕紀さんはとてもいい人で、彼の私物のテレビやこたつなどを部屋の中央に置いてくれ、Yも勝手に使っていいよ、と言ってくれた。また、入寮のお祝いとして近くの中華料理屋でラーメンと半チャーハンを送ってくれた。また、裕紀さんはパーキングエリアでバイトもしており、そこで廃棄予定のサンドイッチやおにぎりが出た際は、それらをIBN寮内まで持って帰ってきてくれ、私に分け与えてくれた。裕紀さんは本当に優しい人で、私は彼のおかげでとても快適に生活することが出来た。
 が、裕紀さんは醬油先輩と幼馴染で、幼稚園から大学(学部は違うが)まで同じである。そう、裕紀さんにも醤油を一気飲みする醤油さんと同程度のクレイジーな側面があるのである。裕紀さんがある晩にIBN寮内で相当酔っぱらって出来上がっているときに、夜11時頃にも関わらず、IBN寮内の館内放送を使って、「福島県立〇〇高等学校出身、12J(平成12年度入寮、法学部)」と口上の一部を行い、そこから「オリコンチャート第7位、初登場、○○裕紀」と言い、当時流行っていた女性アイドルグループの曲を歌い始めたことがある。
 もちろん、IBN寮内のあらゆるフロアから様々な猛者が集まり、彼を止めようとマイクを取ろうとしたり、電源を切ろうとしたりしたが、彼はそういった様々な妨害行為を全力で食い止め、結局、サビの部分まで歌い切ったことがある。細身で格闘技経験も無い彼が、空手や柔道の黒帯相手にどのようにその場をしのぎ切ったのかは分からないが、ともかく、裕紀さんはお酒で出来上がると「飛露喜」に変身し、北斗の拳の悪役のように、周囲を苦しめるモンスターに変わることがある。


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