『コロナ禍』家族通信68
$その68 最終話。これからも続くリハビリ
こうして、私のコロナ感染による、
約6ケ月間の入院生活は終わりました。
今考えると、よくもここまで回復できたものです。
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私の場合は、長くベッドに寝かされる事によって、
若い時のような、石屋としての腕力・筋力は、
無くなりました。
いまだに歩く足取りは、覚束無いものです。
しかし、何にしても元気です。
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『元気になる!』
と自分の心に決めれば、
おのずと身体もそれに答えてくれる。
今は退院から2年と2ヶ月が過ぎました。
退院した2月から一年間は3か所のリハビリ施設に、
週5日のペースで通い、『要介護5』の身体は、
半年後に『要支援2』になりました。
多くの人達に支えられながら、ほとんど毎日の様に、
リハビリによる歩行訓練、筋力強化をしました。
退院から1年後には、『奇蹟的』に室内用の酸素吸入機械や、
酸素ボンベとも離れることが出来ました。
それでも私の「肺年齢」は95才だそうです。
生れてから、高校生まで生活した広島の同級生が、
春と秋に宮城県まで見舞いに来てくれました。
昨年の秋に来てくれた時、私の命を守ってくれた気仙沼の
「みちびき地蔵堂」を案内しました。
往復5時間のドライブです。
「もう大丈夫だ!」と言う自信はあったのですが、
過信は良くありません。
長時間の運転で、次の日の夕方
「エコノミークラス症候群」を発症したようです。
太もも付近に有った血栓が肺に飛び、
意識不明となった私は、
お隣の玄関脇で倒れていたようです。
偶然通りがかった人が救急車を呼んで下さったので
コロナから3年目に2度目の救急搬送となりました。
悪運が強い私は、5日ほどで退院できる状態まで
回復したのですが、チョットした天上からのプレゼントなのか!
隣のベッドの人からの「コロナ院内感染」となり、
今しばらく病院で休養を取る事になりました。
その後、約10日間入院してからの退院。
ちゃんとリハビリも再開して今年1月末に終了しました。
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今在る姿が最良の自分。
すべてを受け入れ、満足する。
これからも頑張ります。
終話
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