#一歩踏みだした先に

「ちひろじゃん。」

 私が久しぶりで電話をしたのは元カレだった。詳細に言えば元々彼氏。中に1人を挟んでいた。彼の声色はとびきり嬉しい様子もなかったが、そこには確かに何か感動しているようなやわらかな雰囲気を私は電話越しに感じていた。

「久しぶりだね、元気にしてた?」

 他愛もない会話からしか始められなかった。彼と連絡を絶って半年ほど経っていた。あの時はもう彼と会うことはないと思っていたし、自分なりにも相当な覚悟を決めていた。間違った選択ではないと言い聞かせていた。


 去年の夏頃、私は彼と一緒に居た時間に好意を伝えていた。それに対して彼の返事がないことにも耐えていた。最初に連絡を取った7月頃から彼と会うことはあっても、一度も彼から好意を伝えられることは無かった。その状況を理解したうえでずっと泣いていた。彼のことが好きだった。でも答えのない彼と一緒に居て自分がだんだんと削れていくのを感じずには居られなかった。


 だから彼と連絡を絶った。


 新しい出会いを探して幸せになろうと自分を慰めた。彼と離れてから、自分で連絡を絶ったにも関わらず、ずっと泣いていた。自分でも知らなかったほど好きだったのだと、その時に分かった。きっと最後の恋愛だったんだなって、その時は泣きながら穏やかな笑顔をつくることもした。これからは自分のためのパートナーを見つけようと思い、婚活を始めてアプリに登録した。アプリで出会う人はみんな親切にしてくれた。好意を持ってくれている様子も窺えた。新しい人と出会うことで寂しさを紛らわすことが出来た。寂しさをこんなにも単純に紛らわしてしまう自分の人間らしさに落胆もしたが、その時の私には必要な時間だった。誰かからの好意で私は満足だった。でも私から歩み寄りたいと思った人はいなかった。そんな時はいつも彼の存在を思い出さずには居られなかった。でももう居ない。私の心はもうどこにもなかった。


 そんな時、私は毎月初旬に発熱を起こす謎の病に悩まされていた。ワクチンの副反応ではないか、と産婦人科の医者に言われ、内科で検査をするも異常は認められなかった。原因が分からない状態では治療が出来ないことは知っていたが、発熱という症状が出ている以上、完治できない病気を持った事で、私は「こんなふうに人は死んでいくんだろうな」と感じずには居られなかった。「予定より少し早めに死ぬかもしれない」そんな想いがよぎったとき、私は彼に電話をしようと決めた、はずだった。

 その夜、携帯画面に彼の番号を呼び寄せた。あとは電話のボタンを押せば良い。ーーーー押せない。何度も彼の画面を消して、呼んで、また消しては呼んだ。そんなふうな葛藤を繰り返して、私はその日泣きながらベットに入った。

 何してるんだろ、、あれだけ傷ついてきたのに。ちゃんと前向こうって思ってたのに、、。何で電話しようとしちゃったんだろ。私の中でぐるぐると彼への気持ちが交差する。嫌い、好き。やっぱり嫌い、でも好き。なんでまだ好きって思っちゃってるんだろ。それがとても悔しくて泣いた。


 それからまた1週間が経った。電話をしようとした自分の行為は忘れられなかった。あのときどうして私は彼に電話をかけようとしたのか全然わからなかった。でもその疑問以上に「今までの私なら自分のしたいように、するのにな。」そんな思いが私を締め付けた。

 私は心が削れていくうちに、自分のことさえも押し殺していたことに気づいた。私らしさがなくなっている、取り戻さないと。そんな思いに駆られた。今まで押し殺した自分の気持ちや自由に生きてきた自分らしさを取り戻すこと「自分らしさを戻せたら、もし連絡をしたいと思ったら自分の好きなようにさせてあげよう。」そう決めた。


 自分らしさを取り戻すことに時間はかからなかった。元の自分らしさと比べると不完全であるものの、ほとんど元の状態に近づいていた。「前向きになれば自分はどこへでもいける」そんなふうに思えた。感情を抑えることもやめるように努めた。いろいろな事象が起きるごとに「これは嫌かも」「これは素敵だな」と自分の感情を確かめるように生活を心がけた。変化はすぐに起きた。自分が戻ってくるのを感じた。本当の気持ちをいろいろなところで殺している自分に気づいた。それは自分でも知らないところで、分かりにくいところで起こっていた。


 自分らしさをほぼ取り戻せたと感じた頃、私はやはり彼に電話をしたいと感じた。この時にはもう迷いはなかった。彼の画面を呼び寄せると電話のボタンを押した。


「ちひろじゃん。」

 懐かしい彼の声がした。

「元気だった?」

 他愛のない話からしか始められない自分がもどかしかった。本当は話したいことがたくさんあった。それなのに彼の声を聞いてからは、何も出てこなくなった。

 彼との電話は心地よかった。いつまでも電話できる。そんなふうに感じた。

「また会える?」彼の不安そうな声が電話口から響く。

「会えるよ。」これがきっと最後だ。最後にしよう。私は覚悟した。泣きそうなのを堪えて必死に返事をする。2人のやわらかな時間が流れていく。しばらくして「おやすみ。」と言い電話を切った。

 涙を堪えた電話。最後の覚悟を決めた電話。しかし本当は、彼と私の第2のストーリーはここから始まる、この時の2人はまだそのことを知らない。


#一歩踏みだした先に

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