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ウィズコロナ時代について思う。

日本に新型コロナウイルスがやってきてから、およそ3ヶ月くらい経つのだろうか。まさかここまでの事態になるとは予測していなかったが、なってしまったものはもう仕方ない。今からやれることをやっていくしかない。

感染症の状況については賢い人の見解を頼るとして、ワクチンの開発には通常1年半かかるそうで、日本では年内臨床試験開始くらいの速度感らしい。イギリスでは臨床試験は2021年5月に終わる予定とのこと。アメリカはもっと早い、今年秋を目指してるみたい。いずれにせよ、だいたい来年春くらいのイメージか。もっと早くできる可能性もあるだろうけど、そもそも確実にできるわけじゃない。どこの誰とも知らない研究者に頼るだけの人生もつまらない。ただ、おおよその目安として来年春まで、ウイルスに怯える日々が続くというのも研究者の見解の一つだ。そこから全世界にワクチンが配布されるようになるのに3ヶ月かかるとして、世界中で旅行ができるようになるまでに6ヶ月として、2022年。考えるだけ頭が痛くなる。観光業やホテル業にぶら下がっていた自分の計画は吹っ飛んでしまって、ここ3ヶ月の準備や気持ちの整理は一体何だったんだろうかと思うほどである。

ただ今は気持ちを切り替えて、これから何ができるのかということを考えている。完全に新時代の到来で、ここから令和本番ということだろうか。なんとなくどんな年になるのか予想している人がいないかを探していたら、干支学というのを思い出した。2020年は庚子の七赤という年回りだ。

難しいことは専門家の説明に任せるとして、終盤の今年は「終わりの始まり」という言葉がグサッと刺さる。これが大晦日に出された動画だと思うとおそろしい。時代が読める人はここまで読めるのかと驚いた。さらに来年2021年は辛丑という年回りで危険なことが起こるという話もあるらしい。2011年東日本大震災、2001年同時多発テロ事件、1991年バブル崩壊、と振り返っても説得力がある。1981年は知らない。2011年というと震災が一番に思い出されるが、2011年10月4日にiPhone4Sが発売され爆発的に売れたことを思うとやはり「創造は破壊から始まる」というのは納得である。

IT化に足りない鍵は、新型コロナウイルスであり、感染症であり、ソーシャルディスタンスであり、ステイホームだった。昭和が一気に排除され、平成をすっ飛ばしてこれが令和だと言わんばかりに、リモート化が推し進められている。もはや打ち合わせがリモートではないケースの方が減ってきているし、リモートでお願いしてもすんなりと受け入れてくれるようになった。

そして、アナログとデジタルの距離が遠くなったと思う。デジタルがアナログを繋げていた時代が終わった。Instagramで見たタピオカ屋に人が殺到する時代に終止符が打たれた。WebマーケティングはWeb上で完結しないといけない時代になってしまった。一方で、 テレビとかYouTubeとかメディアを観ている人は圧倒的に増えていて、正しい情報を仕入れるのがむずかしくなったなとも思う。インスタ映えという言葉も死んでいくんだろう。もう手遅れか。これからはZoom映えかな。しらんけど。


最近Zoomを使っていて思う。完全に画質と音質が悪すぎる。画質と音声がいいだけで話の説得力が3割増しくらいに感じる。ザラザラの画質でバリバリの音だとそれだけで聞くテンションが下がってしまう。これからのオンラインで生きる時代には必須のアイテムがカメラとマイクになったということだろう。だから次のMacBookのカメラは相当良くなるんじゃないだろうか。むしろそうなってないとおかしい。最近iPhoneで写真を取ることが少なくなった。スマートフォンの次のゲームチェンジャーが出てくるんだろうか。手で触らなくても操作できるような、ARのようなメガネ端末だろうか。GoogleGlassとかのようなイメージ。音声認識だろうか。マスク型端末だったりして。空気清浄機能付きマスクで音声認識操作とか。飛沫感染を考えると喋らないほうがいいのか。目だけで操作するとかできたらいいよね。ただこれが来年とかではあんまりリアリティがない。

決済もAmazonGoのような顔認証で勝手に決済される形がどんどん進化するんじゃないか。昨今のビニールシートを天井から吊り下げている様子を見ると、感染リスクのある店員という存在もいずれ消えゆくのだろうか。もはやオンラインストアのみになる時代も予測してみよう。誰もがネットで注文して一日に一回届けてくれる的な世界。意外とそっちのほうが新鮮で安全なものが届くと認識されれば一気に進む可能性もあるんじゃないか。Amazon使わない人は知らないかもしれないけど、つい最近から玄関の扉の前に商品をおいておくという届け方がデフォルトで設定された。つまり、知らない間に家の前に荷物がおかれているという状況。届けられたらアプリの通知で教えてくれる。我が家ではアレクサが「ポーン」といきなり鳴る。一度使ったが、結構衝撃的だった。感染リスクと引き換えに何か(見ず知らずの他人と関わる行為)を失う世界になってしまったんだと改めて実感した。

あと最近はスピード感がかなり重要な要素になってきているように思う。Zoomは最高の品質で、セキュリティの問題は一切なく、音声が途切れたり映像が止まったりしないシステム、ではなかったけど、今あるものの中で最も使いやすくて、品質が問題だらけじゃなかったということが、ここまで一気に広まった要因だと思う。3ヶ月前はZoomなんて知ってる人なんてほとんどいなかったし、Skypeで十分だった。刻々と変化する時代の中で使えるかどうかが大事だった。つまり、有事の際には「間に合うものかどうか」ということが大切だったということだ。何年もかかって開発されるようなものは、あまり重要視できない世の中になってしまった気がする。今この時をどう乗り切るかという視点がかなり強くなってきていると感じる。なんなら「Zoomしよ。」がもはやビデオ通話しようという単語になっている。ググるとかそういった具合である。

その点で言えば、国の制度なんかも毎日変わっていて新しい情報がどんどん出てきて、それを正しく読み取って、かつ言外の部分も読み取って解釈していく、そういう力が必要になってきている。一時給付金10万円もらうために必死になったり、持続化給付金200万円もらうために必死になったり、雇用調整助成金をもらったり、無利子無利息の融資を受けたり、と様々な制度が一気に出てきている。きちんと情報を掴んでいかないと一気においていかれて、詰むイメージだ。これについては、次回にでも書いていこうかと思う。


この感染症がどうなるかというのは誰にもわからないが、かなり長期的な戦いになるのだろう。この感染症の対策が出来上がるまでには、相当の時間がかかる。だから、コロナが終わったあとの世界(アフターコロナ)ではなく、コロナとうまく付き合っていく世界(ウィズコロナ)で考えていかないといけない。

もう感染症を知らなかった、気にしていなかった世界には戻れない。

もう世界は変わってしまったんだと受け入れよう。

だからこそ、短期的な視点と中長期的な視点の両方を持ちながら、どのように時代に合わせていくのかを、想定していくことが必要だと思う。今何がなくなって、何が復活しないのか、今何が出てきていて、これから何が残っていくのかを考えている。それはまた次回に。


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