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だいじょうぶ! #かくつなぐめぐる

「書くこと」を通じて出会った仲間たちがエッセイでバトンをつなぐマガジン『かく、つなぐ、めぐる。』。10月のキーワードは「宇宙人」と「憂鬱」です。最初と最後の段落にそれぞれの言葉を入れ、11人の"走者"たちが順次記事を公開します。

宇宙旅行にさえも行けるようになり、いつ宇宙人と出会えてもおかしくない現代で、海外にすら行ったことがない。

そんな僕も、上京してから約2ヶ月が経った。少しづつ慣れているような気もするけど、「慣れてたまるか」という気持ちもある。順応はしたいけど、自分のことを「東京民」だとは思いたくない。でも、決して東京のことが嫌いなわけではない、むしろ好きだ。

こっちに来てからよく、小学生の頃、自分の持っている絵の具をパレットの上で全部混ぜた時、ヘドロみたいな色になったことを思い出す。東京には、九州の田舎にいるときには見たこともない色の絵の具が数えきれないくらい、ある。上京して「この人、カッコいい」と思う人たちは皆、絵の具の配合が上手い人だ。自分が何色なのか、どんな色と混ぜれば、より綺麗な色になるのかを、ちゃんと分かっている。僕はといえば、まだ自分が何色なのかも分かっていない。とりあえず見つけた色を全てパレットにぶちまけて、グチャグチャに混ぜている。そりゃヘドロになるわけだ。

そんな感じで、良い感じに悶々としている僕の元へ母親から連絡が来た。

「ばあちゃんの体調が悪くて緊急入院することになった」

「レントゲン撮ったら肺が真っ白で、血中酸素濃度も90くらいみたい」

とりあえず、体調が悪いことと緊急入院したことは分かったが、肺が真っ白とか、血中酸素濃度が90とか言われても、それがどれくらいヤバいのかが分からなかった。でも、母の声色からすると、結構ヤバめなことは分かった。

電話を切ったあと、お見舞いに行くべきか考えた。ちょうどその時、新しい職場での大きなプロジェクトが山場を迎えていて、猫の手も借りたいくらい忙しい状況でもあったのだ。まだ入りたての僕に、重めの仕事も任せてもらっている手前、絶対に迷惑はかけたくない。

でも、このままばあちゃんが死んだら、後悔するに決まっている。上京する前、ばあちゃんにも転職の報告に行き「あんたは絶対騙されとる」と頑なに上京を反対され、「早く結婚しなさい」といつものセリフを言われ、「はいはい」と適当に流して終わった、あの会話が最後になるのは嫌だった。

無理してでも、お見舞いに行こうと決めた。

会社の社長や先輩に事情を話すと「すぐに行くべきだ」と言ってもらえたので、超特急で飛行機のチケットを取り、空港に向かった。

福岡空港までは両親が迎えに来てくれた。病院までの車中、ほとんど会話が交わされることはなく、終始重い空気が漂っていた。本当なら、東京奮闘記を面白おかしく話したいところではあるが、そんな空気でもない。

毎年、年末は決まってばあちゃんと2人で過ごしているから、「今年の年末はどう過ごそうかな……」なんてことを考えてみる。もちろん、ばあちゃんが元気になって、また2人で過ごせるに越したことはないのだけど……。


そんなことを考えているうちに、病院へ到着した。受付に行き、手続きを済ませて、抗原検査を受ける。コロナ対策のため、1度に大人数の面会はできないとのことで、僕1人でばあちゃんの元へ行くことになった。

病室に向かう前に、白衣に帽子、ゴム手袋にマスクを2重に着けさせられる。「こんな格好したら、誰が来たか分かんないだろ」と心の中でツッコミを入れつつ、病室へと向かう。

ーー酸素呼吸器を取り付け、虚ろになったばあちゃんが、そこに居た。寝ているのか起きているのかも分からない。

「ばあちゃん、来たよ!」

ピクリとも反応しない。

「ばあちゃーーん!!! 来たよ!!!」

叫び声に近いボリュームで呼びかけると、やっと気づいた。ただ、こちらに視線はくれたものの、誰だか気づいていない様子だ。僕は咄嗟に、さっき着けたばかりの帽子とマスクを外した。

「……来てくれたんかい、寂しかったばい」

やっと僕のことに気づいてくれたみたいだ。でも、言葉を発することさえきついのだろう。一言一言が、ゆっくりで、振り絞るように話していた。

そんなばあちゃんに、何と声をかけていいか分からなくなった。「頑張れ」でもないし「絶対治るからね」でも無いような気がする。必死に言葉を探したけど、ふさわしい言葉が見つからず、ばあちゃんの手を握ることしかできなかった。

僕とばあちゃんの間には、酸素呼吸器の「スーーー」という空気音と、心電図の「ピッ、ピッ、ピッ」という電子音だけが流れていた。

なにか、なんでも良いからしてあげられることはないかと考える。

ふと、好きなものを食べることができたら、少しは喜んでくれるかもしれないと思った。

「ばあちゃん!!! なんか食べたいものある???」

ばあちゃんは僕の方を向き、口をパクパクと動かしている。何か言っているようだが、全く聞き取れない。口元まで耳を近づけてみる。

「……三ツ矢……レモンをおくれ……」

どうやら、三ツ矢レモンが飲みたいらしい。

……ん? でも、三ツ矢レモンってあったっけ? 三ツ矢サイダーは分かる。キリンレモンも分かる。でも、三ツ矢レモンは聞いたことない。

Googleで「三ツ矢レモン」と検索してみる。

「三ツ矢」ブランド最高レベルの酸っぱさ、そして強炭酸の刺激が楽しめる『三ツ矢グリーンレモン』を夏の期間限定で発売しています。
(中略)
ネーミングは、「三ツ矢」ブランド最高レベルの酸っぱさであることを表現するために、『三ツ矢 ストロングレモン』に変更しました。

アサヒ飲料公式HPより

あった。 正しくは「三ツ矢ストロングレモン」だけど、ちゃんと存在していた。

でも……だ。三ツ矢ブランド最高レベルの酸っぱさと強炭酸の刺激って……、とても今のばあちゃんが求めているものではない気がする。目の前にいるばあちゃんに聞くのが早いとは思ったが、そんな不毛な会話をする気にはならなかった。

15分ほど経過した頃、看護師さんが来て「そろそろお時間です」と告げられた。

「じゃ、また来るね!」とだけ言い、力強く手を握ったあと、腰を上げ帰ろうとしたそのとき、ばあちゃんが僕に何か言っているのに気づいた。

口元に耳を近づけ「どうした?」と問いかけてみる。

「……もう頑張った。楽にしておくれ……」


この時、何と言ってあげたらよかっただろう。

ばあちゃんは、どんな答えを望んでいたんだろう。

何を言っても嘘になりそうだった、かといって、何も言わないのも寂しい気がした。

「だいじょうぶ!」

何も根拠なんてない。でも、それしか出てこなかった。


ーー1週間後、ばあちゃんは死んだ。

通夜に参列するため、1週間ぶりに地元へ帰った。午前中にばあちゃんの家に到着すると、ちょうど死化粧が終わった頃だった。綺麗に化粧されていて、僕の知っているばあちゃんじゃないみたいだった。左頬の大きなシミも、年々増えていたシワも、少し禿げた頭も全部ひっくるめて、僕の好きなばあちゃんだったから、なんか少しだけ複雑な気持ちになった。

昼過ぎになると、親戚がワイワイと集まって「久しぶり!」とか「大きくなったな!」とか、まるで正月みたいな空気になって、安心した。憂鬱な空気だと嫌だな……と思っていたが、我が親戚のこういう底抜けの明るさが好きだ。

「ねえーー!」

キッチンから甥っ子が、こちらに向けて何か叫んでいる。

「ねえ! 冷蔵庫に入っとる三ツ矢サイダー飲んでいい?」

あ!! と僕が言葉を発する前に、叔母が答える。

「誰が買ってきたか知らんけど、いいよ!」


ま、いいか。

ばあちゃんには、また今度買ってきてあげよう。



バトンズの学校1期生メンバーによるマガジン『かく、つなぐ、めぐる。』。今回の走者は、兼子大清でした。次回の走者は、神田朋子さん。更新日は10月13日(木)です。お楽しみに!








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