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時間が余ってもそれをドブに捨て続けるだけなのではという恐ろしい仮説

無職になって一年たつ。24時間365日文字通り自由だったと言うことだ。
8760時間、52万5600分、3153万6000秒、自由だった。
だからといって何かを成したと言うわけではない。娯楽を貪り続けた感覚はあるが…

そもそも俺は何をしているんだって話なんだよな、いろんな夢を目指す云々の話が耳に入るようになってきてるから多分そういう精神なんだろうなとは否応にも感じている。

大体、己の感覚に刺さる話ってコンプレックスや焦りからくるものが多いよね、今の俺は夢と現実の狭間にいる可能性が高い。エンタメ系の仕事は虚業っていうのはそうだろうと思うけどまずは作品あげないとステージにも立ってないわけで。俺は空っぽのまんまってことか?それは、よくないね。よくないかどうかは俺の勝手だな。あー…何したらいいのか分かってても怠惰で過ごす俺が1年間そこにいたんだよな。消えない事実。向き合う時間、積み重ねて学んだ時間が2万時間いるんだよきっと、プロってやつにたどり着くには。うだうだ言ってる自分が二万時間分存在しても、何もそこには残らない。気付くのが遅かったかまだ巻き返せるのか…マグロ、ご期待下さい。

あのCMずっとネタにされてるイメージあるけど結構社運かけたドラマだったっぽいよね、ドラマ自体はあんまり刺さらなかったけど。

今日知ったことは絹どうふは一度凍らせて再解凍すると食感が好みだなってことです。調べたら高野豆腐も一度凍らせてそれを戻して乾燥させるらしいね、29近い人間の気付きじゃないかもな、迷走中。いつもか。


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