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11/22 Thu. 食欲と権力

ぬるっと8時頃起きて、朝食、パラグアイのお母さんがお土産に持たせてくれたグアバジャムと、バターをトーストに塗って食べる。トーストは結構しっかり目に焼くのが好き。

午前中、ヤノマミの人々のコスモロジーについての発表資料作り。昼食を挟んで午後も続行。

がっつりしたものが食べたくなって、夜ごはんは鶏もも肉と白菜を、バターとにんにくて炒めて味噌で味付け。どんぶりにして食べた。白菜って炒め物にしてもおいしいんだね。いつも鍋ばかりなので知らなかった。

早めの夕食後は、女性に特有の精神疾患とジェンダーについての論文を読む。月曜日までにまとめてレポートにするのだけど、間に合うかな~~~頑張ろう。

この論文で興味深かったのは、拒食症が、権力の視点から語られていたこと。拒食症というと、メディアの痩せているのが女性らしい、とのイメージへの恐怖症から、行き過ぎたダイエットをしてなるもの、という理解をされていることが多いと思う。

しかし、この論文では女性のイメージに逆らった結果、という提示されている。拒食症とは、食欲のコントロールが行き過ぎた結果だ。一般的には、女性は衝動的で、自制が効かず、感情的。というジェンダーロールがある。そこに対し、社会や自身の両親からの言葉をきっかけに、「いや、自分もコントロールはできる、そしてそれを手にして権力を持つ側(男性)にまわりたい」と考えた結果、その選択の一つが身体に現れた形、というような解説がされていた。

確かに私たちは、「自制心をもって」「自分の体調くらいコントロールしなきゃ」と教育されてきている。なぜなら、理性的であることは男性的であることであり、それは社会的に上位にたつことを意味するから。体調のコントロールができない人は、駄目なひとだと認識される。最近は以前に比べて減ったと思うけれど、「女性は感情的だから仕事ができない」という偏見もあったように思う。

そんな社会へのアンチテーゼとしての食欲の拒否、としての拒食症。

それは自分の身体への意思の「力」であると同時に、家族や医者といった周囲の人を心配させる、混乱させる「力」でもある。

・・・と、たぶんこんな理解であってるといいのだけど。私自身、むかし父親に「食べすぎじゃないの?太るよ」と言われて以来、太ると父に嫌われるんだな、と思っている節があったことに気が付いた。なので、彼に「痩せすぎじゃない?」と言われるとちょっと今でもむっとする。あなたが太るなって言ったじゃない、と。私のこの、父の言ったささいなことをいつまでも約束だと思い続ける癖は非常にめんどくさい。(実はほかにもいくつかある。)

今、好きに料理し好きに食べ、そしてその体型も好きなのはとてもラッキーだ。食べることは、五感をとっても豊かに使うセンシュアルな行為だと、そうも思う。

サポート頂くと、家に緑が増えます。たぶん。