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【料理】わたしの炊事事始

得手不得手はともかく、気がついたら料理が好きでした。食べることと同じように、料理が好きです。

わたしは、わたしの落語も好きなのですが、落語の場合は、わたしの落語を、わたしだけで楽しむわけではないので、料理と同じというわけにはいきません、当然。

それに、好きだからこそ、よくこんなヘタクソにできんなぁ。と、思います。落ち込むより、呆れます。救いは、まぁ、こいつのことを好きだから仕方がない。と、いったところでしょうか。

それよりも、炊事。
料理のはなし。

幼少期

母は専業主婦で、父は定時帰宅で6時には家にいました。夕食は6時半から7時ぐらい。母の料理でいうと、幼稚園から高校の半ばまでが弁当だったので、日に二食から三食は、母の手料理を食べてました。これは甘かっただの、しょっぱかっただの言うと、味がかわる。ははぁ、ごはんをつくるって、そういう作業か、と思ったものです。

夕飯の支度も、手伝い方々見ていることが多かったです。ですから、なんとなく、作業手順というものが、漠然とアタマにありました。

最初の料理

10歳ぐらいで最初に作った料理は、これは、おんなじようなものを、やっぱり最初に作った男子は多いのではないでしょうか、ヘンテコなヤキメシでした。

おいしくはなかったですし、達成感もありませんでしたが、不味く作るたって、こんなものか、って感じでした。

いまでも、その感覚がありますが、なんでも出来た時点で、ひとまず成功なんです。まして、食べ物でしたら、腹は満たされるわけですから。真っ黒コゲになったら、腹は満たされないかもしれませんが、こうすると焦げるんだな、という成功です。

このときのヤキメシは、卵がぼそぼそになりました。卵ぼそぼそヤキメシとしては、成功だったんです。

祖母との同居

小学校高学年だか、中学に上がったあたりだったか、我が家に母方の祖母と曽祖母がやってきます。ばぁちゃんとひいばあちゃんですね。

そこからわたしは、母に加えて、さらに加勢を得て甘やかされて育つわけですが、このばあちゃんが大変な料理好きの料理上手でした。母はその影響もあるのかもしれません。

学校から帰ると、ちょちょいと少し気の効いたものをこさえてくれます。そう、少し気が効いてるのです。

思い出しましたが、母の実家は富山の薬売りで、売薬さんが薬を仕入れにきては、泊まって、あくる日客先に出かけてゆく、ということをしていました。当然、売薬さんたちの食事をつくっていたのも祖母でしたので、それも料理上手の由縁かもしれません。

なにしろ、他人さまに出す料理となると、気の入り方が自ずと変わるものですから。

そういえば、母の兄、ひとしおじちゃんも食にはなかなかうるさいひとでした。

入門、そして修行時代

高校にもなれば、なんとなく料理らしいものはできるようになりましたが、それでも、ヤキメシ、やきそば、カレーあたり。相変わらず、母は専業主婦でしたから、つくる必要もあまりありませんでしたし。

だいたい、いま考えれば、まだまだ世間が狭い時期ですから、そんなにいろいろと作ろうというふうにはなりません。

例えば、いま現在、「ラープをつくれ」と言われたら、「ははぁ、ラープてのはあれですか、ラオス料理の」と、出来ないなりに、どうやってつくるのか、なにを使ってるのかと、考えることぐらいはできますが、知らないものをつくることはできません。だいたい、つくろうとおもいません、知らないんだから。

ところが、毎日毎日、料理をするようになる日々が、すぐそこに来るのです。それは、最初の師匠、桂三木助に入門してからです。

師匠宅は二世帯住宅で、上には先代のおかみさんである師匠の実母、お姉さん、五代目になる甥、姪、お姉さんはすぐそばに部屋を別にもっていました。

上にはお母さま、わたしはおかみさんと呼んでいましたが、おかみさんが住んでるものの、師匠は独身だったため、師匠の朝ごはんをつくるのが、わたしの役目のひとつ。

朝ごはんといっても、芸人のことですから、朝の範疇のこともあれば、起きるのが昼ごはんに近い時間になることもありますし、師匠の注文があるときもありますし、なければ自分で考えることになります。

「なにがよろしいですか」なんて間抜けな問いには、「お前が考えろ」とくるだけです。それが修行だろ。と。

品数が少ない、とか。
おなじ鮭を喰いやがって、とか。
ぬか床をだめにしたり、とか。

この頃から、とりあえず包丁は持てます。から、料理らしいことをする。に、おおきく変わって、早21年といったところです。

ときどき、また、そんな料理のはなしや、こんなんつくったよ。なんてはなしをしたいとおもいます。


書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。