九代目 桂 文楽
顔は男の履歴書。
は、安藤昇だったか、はたまた使いふるされた言葉に安藤昇がぴたりときたのか。
どちらかはわからないが「顔は男の履歴書」という言葉、当に、藝人にもぴたりと当てはまるな、とは、昨夜のゲスト・桂文楽師匠を想いながら。
わたしが楽屋に入ったのは、19歳何カ月。
師匠の家、身の回りの見習いから、寄席の楽屋での、楽屋修行がはじまるのを、わたしたちは「楽屋に入る」「楽屋入り」と呼びます。
文楽師匠は前座から名乗ってきた「小益」から、文楽を九代目として襲名して5年。入りたての前座から見ても、脂の乗り切った藝人だった。
当時、60歳か61歳という計算か。
それでなくとも、みんな若かった。
馬風師匠(鈴々舎)が文楽師匠よりひとつ上、圓歌も60代後半にさしかかったあたり。
四代目三木助は厄年を過ぎて、すぐに命果て。
歌司の弟子になったときは、歌司55歳だろうか。
みんな、若かった。
それだけに、こわかった。
字を当てれば「怖い」でも「恐い」でもなく、「強い」が少し近くて、「畏い」だろうか。
文楽師匠のこわさは、怒鳴るとか、怒るとか、そういうこわさではない。そういう意味で言うと、怒鳴られたり、怒られたり、された覚えも、ハタから見た覚えもない。
文楽師匠のこわさは、存在感だ。
動じないのだ。
わたしたちの言葉で言えば「驚かない」のだ。
そして、そこに「いる」。
なにか絶対考えながら、そこにいて、ニヤッと笑ってる。
そういう「貌」の男に、藝人に、わたしもなりたい。
書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。