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Column_ただの癖

何かをしながらの食事

テレビや動画を見ながら、ラジオを聞きながらする食事。
同時の方が時間の効率がいい?
食事だけしているのでは、視聴覚無沙汰?

試してみればいい。
テレビを消して、ただ食事に集中すること。
咀嚼する圧力や風味、戻り香を感じること。
日常、どれほど味わいを疎かにしていることか。
同時に、食事と一緒に見たり聞いていたりしたことを、食事とは別にする。
それらの情報がどれほどクリアになるのかを知る。

「ながら」の食事が、
なんら効率のいいものではなく、
味わいや、視聴覚情報を、粗いものにするすぎない、と気づく。
何かをしながらの食事で、だらだらと食べ続けてはいないか。
味わうことに集中する時間にする食事の方がよほど効率的なのでは?
音楽を聞きたいのなら、食後のお茶を淹れて楽しめばいい。

雑な食べ方には、雑な食べ物でも気にならないだろう。
添加物の有無を感じる感覚は身に付かない。

「ながら」は、ただの癖。
「ながら」の食事に何か利点があったとは、もはや思えない。
ただの癖ほど直すのも厄介。

新しいことに取り組めばわかる。
思っているようには手足、身体が動かない。
運転や楽器の演奏、スポーツ。
思うようにいかない。
自分の身体が、自分の自由には動かせないのだと分かる。

生きてきた分だけの、癖がついている。
自由になるためには、自分の癖を知り、常に新たなできないことに向かって、ひとつひとつ出来るようになるまで、繰り返していく。

あれが必要。これがないと生きていけない。
それはあまりにも、普通になっているから、吟味すらされない。
その家電は必要?
それほど多くの物が必要?

人の言うこと、世の中の普通、ではなく、自分自身で考えた?

調香は、癖が露になる。
癖があるうちは、調香が上手くいかない。

技術でごまかせない。
調香の勉強は、自分の意識に付いた癖を落としていく過程。

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