学校に行かない理由。

学校に行かなった理由は今でもよくわからない。

当時、聞かれたときには困っていた。いじめられたわけでもなく、特にこれといった理由がないから。でも理由もなく学校に行きたくないわたしを許してくれていた親には感謝している。実のところ、今だから聞くと両親のあいだでは考え方の相違があってモメたりしていたようだけれど。

そんなわたしが当時「なぜ学校にこないのか」と聞かれたときに、返していた答えは

「家が好きだから」

だった。

家で何をしていたかというと、たまーに学校からもらったプリントはしていたが、ひたすら漫画を読んだり、ワイドショーを見たり、パートから帰ってきた母とスーパーに買い物に行ったり。決してたいそうなことはしていない。むしろきちんと働いている人や学校に行っているひとたちに怒られそうな生活だった。

保健室登校をしている時期には、自分の学年の勉強はせず、同じように保健室登校をしていた上の学年の子の勉強を横で眺めていたので、自分自身の勉強はほとんどしていなかった。でもそのおかげでローマ字は小学校2年生のときにはわかっていたし、算数の図形の公式も理解していた。ただ、九九を覚えたのは小学校高学年だった。順番がちがう。

なんとなくで不登校になったわたしだったので、保健室に行けるなら教室にも入れるんじゃないか、休み時間に教室にいる子と話せるなら教室に入れるんじゃないか、と思われていた気がする。ただ、教室のなかにはわたしの知らない「当たり前」がたくさんあって、少しでも違うと周囲の子に「これはこうだよ!」と言われてしまう。それは周囲の子のやさしさだったのだと思う。普段いないわたしに教えてくれる。ただ過敏なわたしにとっては苦しかった。一日は教室に入れても、次の日同じようにその子たちが優しく受け入れてくれるかどうかわからない。あぁ楽しかった、と思って帰っても、次の日のことを思うと恐怖に変わってしまう。わたしはいつまで受け入れてもらえるんだろうか、と。

おとなたちはきっと少しでも教室に入って、楽し気にしているわたしをみてこのまま次の日も。と期待していただろう。そして昨日はあんなに楽しそうだったのに、とまた教室に入らない、保健室にもいかなくなるわたしをみて残念に思っていたと思う。でもね、違うんです。楽しかったから、その分次が怖いんです。

家が好きだったのは、安定だったから。ありがたいことに、親は家にいるわたしを責めなかった。(もめたときもゼロではないけど)

ゆるゆると小学校時代を過ごしたわたし。こうして文字にするために振り返ってみるとたくさん守られていたことに気が付いた。

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