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アリとキリギリスとそれから私

毎回、写真選びに苦労する。星は絵が描けるからいいけど私はそれも無理なので、いつも関係ない街並みを載せている。今回はなんかいい高山市の街並み。

短い冬休みが開け、なんとか毎日をいなし、期末の課題とテストに忙殺される日々を過ごしていたら、最後に自分が投稿してから1ヶ月強が経過し、さらにはいつの間にか長い春休みが始まっていた。

大学生の長期休みはいつも直前が期末で、大抵は「死ぬほど忙しい」から「死ぬほど暇」に急落する。私も例に漏れず、久々の(と言っても2ヶ月ぶりくらいの)暇人ライフを送っている。

……のだが、星はどうにも様子が違う。大学が主催する有志のプログラムかなんかに参加し(しかも有料!)毎日、朝早くに家を出て夜ヘトヘトになって帰ってくる生活を送ってるらしい。しかも課題まであるそうで(お金払ってるのに!?)帰ってきたらそれをするんだ、とげんなりしていた。

こういうのを見ていると、なんか私もやらなきゃいけないのかなと思ってくるのが、人間のサガではないだろうか。そこで私も、なにかしてみようと思い考えをめぐらす。とりあえず勉強だ!と思って長期休み中にやりたかった語学のテキストを開いてみる。ただ、意志とは儚いもので、ものの数分で飽きと退屈に苛まれやめてしまう。なんて意志薄弱なんだと思いながらも、指は自動的に近くに置いていたスマホを掴み、YouTubeを開いている。そんな自分も嫌になる。別に、私が今日何もしなくたって、誰も私を責めたりしない。星だって「自分が好きでやってる事だし、関係ないじゃん?」くらいにしか思ってないだろう。でもなんとなく、焦りと自己嫌悪に焼かれるのがもどかしい。

アリとキリギリスの話をふと思い出した。冬に向けてせっせと働くアリ、今を謳歌し働くアリを見下すキリギリス。あれは確か、冬を迎えキリギリスが死んで、「こうなるから、あぐらをかかずにみんな真面目に働きましょうね」みたいなそういう教訓を含んだ話だったはずだ。だけど、今こうして思うとキリギリスってすごいんだなぁと場違いなことを思ってしまう。なんせ身近にあんな働き者がいたのに、焦りも申し訳なさも、自己嫌悪も感じてない。冬になって死んでしまったけど、それはそれで幸せだったんじゃないかとすら思う。私は頑張らなくていいなら、ぜひ頑張りたくなんてない。求められていない、必要じゃない努力なんてしない方がいいと思ってる。なのに自己嫌悪と焦りを感じるこの矛盾。少しの間、キリギリスになりたいと思った。死にたくは無いけど……

陽(キリギリス志望)

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