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138億年の時間の中で☆第26話☆「あまのじゃくは制御不能」          

「褒められるのってムカつく。上から目線で評価されている感じがイヤだし、コントロールしようとしている意図が丸見え。」
こんなふうに考えるかわいくない子どもは誰?・・・40年前の夫です。褒められるとそのまま有頂天になる私とは大違い。なんてあまのじゃくなんだろうとビックリしてしまいます。その性質は次男にも受け継がれたようで、うっかり褒めちゃったりすると何とも複雑そうな顔で黙り込んでしまいます。あるセオリーでは褒めることで子どもの行動の変えることができるらしいのですが、夫や次男のようなタイプには通じないだろうなぁ。
 
さて、夏期講習代金をもって塾へ向かっていた高学年の私はマクドナルドの求人広告に目がとまりました。あの頃の時給は、多分500円~600円くらい??で、講習代が3万円だったか。その場で頭の中で計算して、50時間分の労働のお金を持参している事に気が付きました。父親の給料額や給与体系なんてもちろん知らなかったけれど、いずれにしても3万円は大変な労働と等価なのだと思ったのです。残念なことに大金をつかっているのに、ちっとも成績があがらない。やってもやってもわからないのは算数の問題集。お父さん、ごめん。私って駄目だなあ、お金って有効に使わないといけないなあ・・・って強迫観念に近いレベルでお金に対して意識づけられたのはそんな体験から。
 
親は私の強迫観念をコントロールできたのでしょうか?無いわけでもない定期券代をもらうのにも勇気が必要になってしまった私は、もっと大切なことすら言えなくなっていったし、なんでこんな子になっちゃったんだろう?と親は思っていたに違いありません。はい、キッカケはマクドナルドの時給を見たことです。親が知るよしもない。制御不能。
 
多分、ある年齢を超えたら親や学校以外からの情報や刺激の方が子どもには意味を持つようになってくる。子どもへの影響を考えて読む本やマンガに干渉する親がいたとしても(今は動画やSNSか)、街中の広告の影響までも計算に入れた子育てなんてできないでしょう。
 
褒めたり、叱ったり、こんな言葉がけをしたら子どもはこんな風に育つよ、、、なんて、ほんまかいな?と思うような謎セオリーは育児周辺の世界には溢れているけど、人をコントロールしようとするその意図が、とても「こざかしく、いやらしく」感じるようになった今日この頃。
しつけよう。教育しよう。だから、〇〇しよう。ご褒美あげればいうことを聞く。そんなふうに因果関係を単純化して捉えることがナンセンス。その罠にハマってしまうのが親なんだけど、もちろん、私もどっぷりハマっていたんだけれども、それもそれでしょうがない。私たちの思考がそういうふうにできてしまっているから。(長男のような「考えるな、感じろ」で生きている知的障がい者がこの世に必要な理由はそこにあると本気で思っています。)
だからいきづまった時に気が付けばいい。ただ一緒にいて泣いて、怒って、笑っていればいい事に。
 
褒められると木に登る素直で単純な子どもだった私と、人の意図を瞬時に察知しコントロールされることを拒否するかわいいかわいいあまのじゃくさんの夫と次男。その中間をなんとなくフワフワただよっているのが我が長男。みんな大事でみんなステキでみんなサイコー。
 
 
 
 
 

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