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138億年の時間の中で☆第23話「諦めたくないの、むりだとわかっていても」

ときどきママ友の相談にのることもあるのですが、学校が怖い、ちょっと間違えただけで怒鳴られる・・・と訴える子どもが時々いると聞きます。どこまで本当かどうかは分からないけど、同じように感じている子は潜在的にもっといるんだろうな、と予測できます。

子どもと接するのにイライラしちゃったり苦しくなったりすることがあるのは十分に理解できます。そんなことは私もしょっちゅうです。複数の生徒を相手にしている先生なら特に大変そう。苦しいだろうな、ホントはブチ切れちゃいたいんだろうな。
どうしても怒鳴っちゃうこと、感情的になっちゃうことは人間である以上しかたのないことかも。

でも、怒って子どもの行動をコントロールするのって一番手っ取り早くって楽な方法なんですよね。だってこちらは大人で相手は子ども。
怒鳴って、懲罰的な方法で、子ども達がお互いを監視するようにすれば「問題ない」クラス運営はできるかも。身体が大きくて経験値の高い大人であれば誰にでもできる方法。
じゃあ教員の専門性ってなんだろう??って思っちゃう。

この程度の恐怖感も我慢できないのは甘ったれてる、なんて意見も出そうだし、実際、そうかもしれないなと思うところはあるんです。
でも、恐怖で支配されることは子どもにとっても一番ラクチンな事なんだと思います。だって、言う事を聞いていればいいんだから。なんでルールがあるのか考えなくてもいい。ひたすら黙って時間を過ぎるのを待てばいい。反省した振りをしていれば頭の中では何を考えててもいいし。誰かが決めたことだからトラブっても責任はとらなくていいんだもの。そしてお互いを監視する行動の中で得られる優越感やほの暗い快感はクセになっちゃうのかもね。

なんで間違えちゃうんだろう?なんでルールが必要なんだろう?イヤな事がイヤだと、好きな事が好きと言えないのはなんでだろう?

本当は子ども達が自主的にそうやって考えてくれるのがベストなんだけど、抽象概念を獲得できていない低学年の子ども達にとっては到底無理な気がします。
だから、一番楽な方法をとる。時間も場所も人員も制限があるのに、やらなくちゃいけないこと(と思いこんでいる)は山ほどあるんだから。波風が立たないほうが大人にとっても子どもにとってもいい場合もあるかも知れない。短期的に見れば。

でも、大人側から問いかけを辞めたら、諦めてしまったら、子どもはずっと「考えること」「内省すること」を獲得できないかもしれない。だから自分が何を思っているのか感じているのかがハッキリわからない大人も多いのかもね。

どうせ子ども達を甘やかせたくないのなら、我慢を経験させたいのなら、自分の気持ちや考えを表現する勇気やちょっとした恐怖感や、自己選択の結果を引き受ける重さや、意見や利害が対立する自分とお友達とのケンカの落としどころを見出すまでの困難さや、かかる時間への忍耐、限界を感じた時の絶望感、そこからどうやって希望を見出すかの難しさを学べばいいのにと思います。そんなこと、大人も獲得できていないんだから、学ぶのは楽しいはず。

多分、そっちの方が子どももしんどいし我慢と忍耐が必要だし、めちゃくちゃ頭を使う。甘やかしとは程遠い。

自分の気持ちを聞いてもらえる体験の積み重ねは、自分を好きになれることと繋がると思います。自分を好きになれば、お友達も好きになれます。好きなものや人が多ければ勇気がでるし、やる気もでると思います。

それは長男の学校生活を見て感じたこと。
次男の学校での経験から言語化できるようになった、私の考え。

理想論になっちゃうけど、理想は一生到達できないことを前提に追い続けるものだと思っています。理想追及の難しさという重力に逆らわないと落ちていくしかないもの。

だから親子関係の中でくらいは、諦めたくないのです。
怒鳴らない、むやみに叱らない、どんな気持ちなのか、何を考えているのか、それはどうしてなのかを問うことを。問われた側はちょっと怖いかもしれないけど。

長男の場合は言葉を操るのに大きな壁があるからとんちんかんな会話になることの方が多いのですが、私の問いかけに対してストライクな返しがなくてもいいのです。言いたくなかったらそれでもいい。

あなたの行動と感情の主導権はあなたにある。障がいが重い長男にも、それを示していきたいのです。それが私の子どもへのスタンス。

うっかり子どもの気持ちを無視してしまって高圧的な態度をとってしまった時は謝るしかない。
私が何を見誤って、なぜそうなっちゃって、イライラしてしまったのかを説明しています。
子どもが理解できなくても、そうします。いいのか悪いのかはわからないけど。

だって、大人は多少の知識と経験はあるけれど、決して子どもより「エライ」わけではない。子ども達は大人が失ってしまった能力を持っているのだから。ただ笑うだけで周囲の大人を平和な気持ちにさせる能力は子どもの方が高い。そういうふうにできている。
だったら、大人はその能力を子どもから学べる余地があるのだから。

イヤだ、嫌い、悲しい、嬉しい、楽しい、大好き。
そんな感情を大人が受け止めてあげないと、子ども同士が受け止める経験をしないと、誰も自分を好きになれない。
高い知能やスキルを身に着けていたとしても自分を好きになれなくちゃ力は発揮できないことは、過去の私自身が証明できるのです。


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