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介護のポテンシャル 第2回 その1    「介護士の心構え~ベテラン介護士に向けて」

みなさんこんにちは!
社会福祉法人サンシャイン企画室の藤田です。

今回は前回から始まりましたサンシャインの新しい企画もの「介護のポテンシャル」の第2回をお届けしたいと思います。

この「介護のポテンシャル」の企画意図を説明させていただくと、わたしたちが日頃胸に抱いている「介護ってこんなに素晴らしい!」という介護に対する思いを広くアピールしていきたい!ということです。

さてと喜ぶべき第2回は、第1回に引き続きまして「介護保険物語」でおなじみのわれらが森藤部長による、今度は「ベテラン介護士」へ向けた、こんなのどこでも見たことない!とびっきり上級の熱すぎるきもちのお話です。

ということで長く長~くなりましたので、3回に分けてお送りします。

ではその1、早速まいりましょう!

テーマ:『特別養護老人ホームで介護士として働くということ~ベテラン介護士に向けて』
講演:森藤新部長

ベテラン介護士に求められるものとは?

本日は、特別養護老人ホームで介護士として働くということはどういうことなのか、特にベテラン介護士にとって何が求められるのか、ということを考えてみたいと思います。

ベテラン介護士のみなさんは、この介護業界で介護のお仕事に就いて既に10年、20年、30年、あるいはそれ以上勤めている介護士ということになると思います。

なので、何を今さら「介護士」とは何をする職業だろう?などと言っているのだろうとお考えですよね、きっと。今自分たちがやっている仕事そのものが「介護士」の仕事そのものではないか。我を見よ!ってね。

でも、ちょっと待ってください。今皆さんがやっている介護業務が、本当に入所者が求めているものを100パーセント満たしているのでしょうか?

みなさんが自分は目一杯介護の仕事をしている、と思っているならば、たぶんそれは、新人研修で触れた「介護作業員」の範疇でのことだと私は思っています。

新人研修で述べられたことについては皆さんおおむね達成できているのではないでしょうか。でも、そのレベルで介護士として20年、30年歩んでいるとしたら、ちょっと底が浅いと思いませんか?

世の中には職人と呼ばれる人々がいますよね。この職人にもいろいろレベルの違いがあります。まだその職に入りたての「見習い」レベルの人や、技術をほぼ習得し仕事も立派にこなしている「中堅」どころの職人さんたち、さらにもっと高度な技術を身に着け新人や中堅どころではなかなか達成できないレベルの仕事を成し遂げる「熟練」と言われる人々。

介護士も同じだと私は考えています。もし、介護を20年30年実践してきた介護士と2年3年の経験しかない介護士が同じレベルの仕事しかしていないとしたら、ベテラン介護士さんが「私は介護一筋で30年歩んでいるんだ」と言っても「そうですか。でも隣の新人とあまりかわらないのですね」なんて家族に思われるとしたら、それは悔しいですよね。

では、どういったことを身につけ、どのように成長していけば、新人とは一味違った、さすがベテランの介護士だ、と認めてもらえるようになるのでしょうか?

でもそれに答える前に、「特別養護老人ホームで介護士として働くこと」について少し考えてみます。

「特別養護老人ホーム(特養)で介護士として働く」とはどういうことなのか?

特養に入所している人々は少なくとも何らかの「身体的障害」を有しているので、生活の中のいろんな動作が自分ではできません。そのため「誰かの助けを借りて」その動作を行なわないと生活がなりたちません。極端に言えば生きていけません。

ですから特養では、いわゆる三大介護と言われる食事・排泄・入浴介助を始めとする身体介護がきっちり行われなければいけません。逆に少なくともこの身体介護がきっちりできていれば入所者の生活はほぼ順調に流れていくでしょう。特養ではそれを完璧に行うことが求められているのです。

ではそれが特養に求められる全てなのでしょうか?高齢者の介護はただ身体機能に障害が生じたのでその部分を補ってあげればよい、というような単純なものなのでしょうか?

そうではありませんよね。

特養の入所者は人生の終盤に近付いている人たちです。身体機能だけではなく、精神機能も徐々に失われつつあります。そうした入所者の多くは「本当ならば人生の最後は自宅で迎えたい」という思いを持っておられます。

大げさに言えば、それが特養で暮らしておられる人たちの「本音」だと、私は考えています。

であるならば、「人生の最後は自宅で迎えたい」という、入所者のこの思いに寄り添うことこそが、「特養で介護士として働く」ことの意義ではないか、と私は考えます。

では次に「入所者のこの思いに寄り添う」とはどういうことかについて考えてみます。

「人生の最後は自宅で迎えたい」という思いに寄り添うって、どういうことなのか?

入所者の多くの方は「人生の最後は自宅で迎えたい」と思っておられます。

では「自宅」と「特養」はなにが違うのでしょうか?「自宅」にあって「特養」にないものってなんなんでしょう?

それは私が思うには、次の2つです。

① 今まで長い年月を過ごし、慣れ親しんできた「自宅」という環境。
そこにはこれまでの様々な思い出が詰まっています。
② 自分を温かく見守り、世話をしてくれる「家族」。

さて、このうち①については施設として対応するには限界があると思いますが、②については施設でそれと同等のことを提供する余地は十分にあると私は考えています。

つまり施設の介護職員が、その人にとっての「新しい家族」になると認識し、その使命を胸に深く抱いてその人を「介護」していくこと、これが「人生の終わりは自宅で迎えたい」という入所者の思いに寄り添うことだと思うのです。

ここで「介護」とカッコつきで述べられた介護は、単純作業としての、つまり衰えた身体機能を補って差し上げるだけの介護作業ではなく、特養で暮らす入所者の思いに寄り添って、入所者と介護者が「(新しい)家族のように共に暮らす」形での介護を意味します。

こうした「介護」観でなされる「介護」は、もはや「異次元の価値」を帯びて感じられることでしょう。

さて、ここまでで、「特養で介護士として働くこと」は「人生の最後は自宅で迎えたい」という入所者の思いに寄り添うことであり、そうした思いに寄り添うとは、その人にとっての「新しい家族」になると認識し、その使命を胸に深く抱いてその人を「介護」していくことだ、と述べました。

でもここでもうひとつ、考えておきたい問題があります。

それは、「新しい家族」になると認識するにあたってのとても重要なポイントについてです。

その前に、介護をその始まりから紐解いてみましょう。

(to be continue !)


ということで「介護のポテンシャル」第2回『特別養護老人ホームで介護士として働くということ~ベテラン介護士に向けて』の「その1」をお送りしました。
次回「その2」に続きますので、無念無想の思いで待っててくださいね!

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