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ガンではもう死なない選択が出来る?!②

入院生活で私はかなり元気な患者だった。
痛みを訴える入院患者や、抗がん剤に苦しむ患者、検査入院してくる患者、
癌患者は次々に入院してくる。病院のベットがあいているなんて事はほとんどない状態。
それはまるでベルトコンベアーに乗せられた何かを流れ作業で治していくかのように感じられた。
あるとき、中学生の次男がお見舞いにやってきた。
入り口で、同室の抗がん剤での治療患者と鉢合わせした彼は、青い顔をして、私の前に現れた。そして、黙って私の頭をなで始めた。
髪もまつげも失ってしまった抗がん剤で治療中の副作用に驚いたらしい。
私は言った。
「大丈夫、母さんはここで治療しないから」
そう言うと、ほっとした顔を見せた。

入院手術の3日前、私は、夫の仕事のつてで癌を自力で消した人に会って3時間話を聴くという幸運を得ることが出来た。
夫は、代々農業を営む家で自身の代から有機農業を始め、その取引先である自然食のお店の店長に私の癌を話したところ、是非入院前に会って話を聴くようにとその方とのスケジュールを組んでくれた。
W氏は、とある会社を経営されている方だった。その方の自宅に招かれ、客間でわかりやすくお話し下さった。
前立腺癌ステージ2Bを1年仕事を休み自力で消すと決められて、その通り1年で消してしまったのだ。医者にかからず、食と手当と心を変えることで。
W氏の話はとても興味深いものだった。
具体的にどんなことをして、何が一番大変だったか、どんなことをしてきたか、手当の方法や食事の方法やどこで何を学ぶべきか、どんな本を読むと良いかなど丁寧に教えていただいた。
しかし当時の私は、彼と同様に癌を消すイメージを持つことが出来なかった。
W氏の人間性に触れるほど、自分には同じ事は難しいと感じた。
私は、自分には自己肯定感が欠落しているところがあることを理解していたからだ。若い頃はリストカットの経験もあった私は、どこか自分を大切に出来ないところを抱えていた。
それを話すと、W氏は
「では、癌を手術で摘出してから再発しない身体作り、心作りをすれば良い」と勧めてくれた。

入院前日の晩、お風呂でゆっくり入浴し丁寧に身体を洗った。
豊満な肉体とは言いがたい、どちらかというとアスリート体型ではあるが、私の胸をじっくり見つめる機会はもう失われる。
胸を片方失うのがどんなものか、想像が難しかった。
いろいろな経験を共にし、二人の息子を授乳で育ててくれた私の右胸はなくなる。少しだけ泣いた。
そしてこの時誓った。
失う以上のものを手に入れて立ち上がろう。
右胸を亡くしてしまうなら、必ずそれ以上の何かを手に入れてやる。
そんなことを強く思って、胸を洗った。
まさかあんな痛みの洗礼まで受けることになるとは想像だにしてはいなかったが。

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