文章を書くことを暫く避けています
どうも暮方薄明です。お久しぶりです。
寝れないのでnoteを見ていたら感情が少し湧いてきたところに、noteという受け皿があったのでこぼれないよう流し込んでいるところです。
溢れ出た感情というのはタイトルにもある「文章を書くこと」についてのお話で、ほとんど更新していないnoteに限らず、TwitterやInstagramなどのSNS、ラジオの台本や個人的な日記に関してまで、私は感情を文章にする行為を最近避けているのです。
避けている、というよりも面倒くさくなってしまっているというのが実の所ではございまして、感情を言葉にして整理する前に、ひらひらと簡単に移ろいでしまって、あちこちへと心がふらつくばかりで、何度も机に座り直しても、はて何を思ったかと考え直す日々ばかりで…
何ともつまらない現代人の症状のように、私もまた過剰な情報に振り回されて、何と散漫な考え方をする脳に育ってしまったかと後悔をしている所にございます。
さて、文章にする行為を避けているという話でしたが、何故そうなってしまったかなどは、くだらない消費生活を語るにも想像に易いのでしませんが、自分自身の分析はしてみようと思うのです。
何せ私は分析が好きと、自身の卒業論文の前文に書くような人間ですから、とりあえずやって見るのです。
文章化へのハードル
文章を作成することへ何かしら障壁を感じているということです。
私に起こった出来事や感情という情報を、文字に変換することで人に伝えたり、記録することが出来ます。ただし私はしばらく変換を行ってこなかったため情報と文字の翻訳方法を忘れてしまいました。
学生ぶりに外国語の教科書を引っ張ってきたが、読めなくて変な記号が並んでいるように見えたような感覚とにています。
感情の平坦化
なんかそれっぽいタイトルにしてますが、起伏がないということです。
しかし思い返してみると、別に感情が死んでいたり、消えていたりしていたはずはなく、年末年始の特番で大爆笑していたし、大学の先生からの連絡にため息が出てしまうこともあったはずです。
感情の起伏が無くなった訳ではなく、起伏が起きたタイミングで気づくことが出来ていないという事だと思います。
なんと言いますか、その反射神経といいますか、センサーと言いますか。それが鈍感になっているわけです。
言葉と疎遠
最近はYouTubeばかり見ています。
VTuberやストグラに関連するものを見ています。
YouTubeを視聴している時のことをわざわざ日記に書いたりしません。ただ興味があって動画を開き、消化するように時間を潰していくものですから。作業のお供と言いながらも体は動画の画面に向いていて、どちらが私のメインタスクなのか間違えてしまいそうです。
皆さんもお分かりの通り、このような習慣を続けていて、丁寧に感情を言葉にしていくような面倒くさいことをしようなんて考えなくなっていくわけです。
そんな私が今、ベッドに入りながらも眠れないからというので思ったことをつらつらと書いているわけです。
何も考えずこのまま投稿してしまって、スマホを閉じて寝ようと思います。
おやすみなさい。
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