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うつ病カウンセラーの親戚付き合いとモーニングワーク

■前回までのあらすじ

祖父の入所をきっかけに、そして様々な当事者作品を家族と共有することをきっかけに徐々に家族からの理解を得られるようになりました。


その翌週の事でした。

 ■訃報は突然に

訃報は、突然やってきました。

入所していた祖父が施設内で誤嚥性肺炎で心肺停止となり救急車で運ばれたとの連絡がありました。朝、出勤支度をしていた母が電話を受け、私もそのただならぬ様子に覚悟を決めました。直ちに父に連絡を取り、父から親族へ連絡が行き渡りました。

搬送先の病院にて、死亡時刻と死因を告げられ、霊安室で物言わぬ祖父と対面。

叔父や叔母達も次々と駆けつけてきました。

最期を看取ってくださったスタッフさんから状況を伺い、丁寧にご対応くださった事に感謝の弁を伝える裏では、警察が事件性の有無について確認する為の調査を進めていました。

事件性がなかったことがわかると直ちに葬儀会社に連絡を取り、遺体を実家に搬送。私と母は祖父を迎え入れられるよう布団の準備や車の移動を済ませ、弟や他の親族にも連絡を取り、たちまちのうちに葬儀の段取りが始まりました。

この時、叔父や叔母達親族には私がうつで療養中であることを伝えていませんでした。その為、連絡を取ったり顔を合わせたりするたびに

「今日はお仕事はお休み?」

と何気なく聞かれます。

もちろん彼らに悪意はありません。私もそれまで不定期な勤務が多く、平日が休みである事も多かったので、彼らもそのような認識でいたのです。

もちろん悪意がないことはわかっていましたが、これは当時の私にはなかなかに堪える言葉でもありました。何故なら、彼らは祖父の実子であり、私は直近の祖父の様子を見ており、そして死亡確認の現場にも立ち会ったのです。彼らにそれを説明しないわけにはいきません。しかし、それを説明する上でも、この後訪れる葬儀までの付き合いの中でも、私が今どういう状況にあるか、説明を避けて通る事はできませんでした。

そして案の定、彼らもまたうつ病という症状について適切に理解をしているわけではありません。予想していた通り、同情的な言葉だったり「少し休めば良くなるっていうよね」などと気休めの言葉を聞かされるハメになります。

もちろん、彼らにしてみてもそれ以外に言うべき言葉が他にあったでしょうか。

そんなことよりも自分達の実の父の死の方が重大な出来事です。

私はこの表現のし難い屈辱感や劣等感のような後ろめたい気持ちと、祖父の死の悲しみとを受け止めきれないまま、とにかくその場での役割を振る舞うことに徹しました。

そんな中、一番下の叔母がかけてくれた言葉が、私にとって救いとなりました。

「一番最期に元気な姿を見てくれたんだね。ありがとう。」

ありがとう。

この言葉を聞いて、私は「ひとの役に立てたんだ」という救われる思いと共に

耳にしたくもない同情や慰めの言葉よりもずっとずっと、胸を打たれました。

私はずっと親戚付き合いが苦手でした。特定の役割を演じさせられることを強要されるような空気、その中でもうちの母が明らかに浮いている雰囲気、とにかく息苦しかった。

実家に帰ってからの数ヶ月、自分のことに精一杯で先の見通しも持てない不安に苛まれて、誰かの役に立てるような機会もなく過ごしていた私ですが、祖父を穏やかな心で見送りたいという気持ちから、私もガソリン切れの体に鞭打って、回らない頭なりに考えてこなすべき事を全うしたつもりでした。

そんな私に「ありがとう」と一言かけてくれて、私は心から報われるような思いを感じました。


葬儀当日を迎えるまでに、遺品を整理したり遺影のための写真を整理する中で、家族の写真がたくさん見つかりました。この家の歴史、この家族の歴史…

「シベリアで抑留されている時には鮭の皮がご馳走だった」

と数少ない戦争体験を語った時の祖父の言葉

「お前に錦の着物を着させてやるから嫁に来い」

と祖母を口説いた時という祖父の話・・・


そんなエピソードを共有するうちに、私たち家族は、家族としての歴史をともに振り返る機会を得ることができました。祖父の死を通じて、お互いに生きてきた時間を、人生を省みるきっかとなったのです。

そして2日後、祖父の遺体は焼かれ、魂は天に召されました。

私は相変わらず2020年現在の今でも親戚付き合いが苦手ですし、家族とも疎遠です。でもこの時親戚や家族と共有した体験は、私の中でこれまで積み重ねてきた家族や親戚に対する拒絶感を、一時でも緩和してくれる機会となりました。


●喪の作業

大切な人を亡くした時、人は悲しみや喪失感を感じます。時にはそれをきっかけに精神的な症状が見られる方もいるでしょう。人だけでなくペットだったり、時には大好きな漫画やドラマやアニメの連載だったり。人は様々な場面で喪失体験をします。

この喪失を乗り越える作業を「モーニングワーク」あるいは「グリーフワーク」と呼んだりします。

喪の作業には1人で故人と向き合う事も、複数人で故人の話をすることで向き合う事も含まれます。喪の作業は故人の為に行うものではなく、残された人々が悲しみや喪失感を乗り越える為に行う行為です。お葬式も日本古来からの喪の作業と言えるでしょう。ご自身の気持ちの整理をつける為にも、泣きたい気持ち、故人への恨みつらみ、寂しさ、等湧き出てくる一つ一つの感情と向き合い、受けとめ、解消していくことで次の人生の一歩を踏み出す力を得られることでしょう。


さて、本日のしくじり先生の授業はここまで!

みなさん、なんとなく親戚付き合いが苦手だという方いらっしゃいませんか?

無理して付き合う必要はないかと思いますし、妙な役割を演じるくらいなら距離を置いたほうが楽に生きられる事もあるかと思います。ただ、人生の交差点の中で時々交わった時、思わぬ心境の変化や新しい発見があるかもしれません。

葬儀や結婚式など、たまの冠婚葬祭くらいには話してみるのも良いかもしれませんね。


もし中の人と相談してみたい、と思ってくださった方はこちらまでお気軽にご連絡ください。皆様からのご相談、お待ちしております☺️

それでは、起立!礼!

お読みいただきありがとうございました!



有資格者の心理カウンセラーが自身のうつ病経験のしくじり体験談やそこから復職にいたるまでのコツや、病気と付き合う為のノウハウを記事にしています。遠隔カウンセリングも行っておりますので、なかなか外に出るのが難しかったり直接人と会うのが苦手な方もお気軽にお問い合わせ下さい☺️